2009年10月27日

私の職業4

それにしても、どうして人は病気になるんでしょうね。
学ぶために生れて来ているから、と言ってしまえば終わりなんですが・・・

私の亡くなった友人は、何度か入退院を繰り返したころには
「発病当時は精神的にも肉体的にもとても大変だった」
と、笑って言えるほどに強く成長していました。
とてもおしゃれな人で、私はいつもその女らしさに憬れていました。
治療のための抗がん剤の影響で髪が抜け、頭にバンダナをしていましたが、
「私の頭の形ってヘンなんだよー」なんて笑って言われると、
なんと返事をしていいのか分かりませんでした。

看護婦時代には友人と同じような病気になった10代、20代の女の子もいました。
彼女達も、計り知れないほどの肉体的・精神的苦痛を乗り越えていくうちに、
確実に強く成長していらっしゃいました。

人は成長するために病気と言う手段を選ぶのでしょうか?
又は、臨終の場面でその成長を遂げる人もいるでしょう。
周囲の人に自らの死を体験させる事で、周囲の成長を促す人もいるでしょう。
(全ての死がその意味を持つと思いますけど)
―――以下、心の会話―――
例えば、何かの宗教団体に入って、話しを聞いたり、お祈りをすると自動的に成長するんだろうか?
信仰するといっても、何を?
すべてを捨てて出家したら、私は楽になって悟りを開いちゃうんだろうか?
でも、修行は大変そうだし、全てを捨てるなんてできないしなー・・・
おいしいものも食べたいし、結婚して子供も欲しいしなあ。
修行って、一生を捧げなくちゃだめなんだろうなあ。それはできないや。
(修行が辛いものだっていうのは、偏見かもしれませんが・汗)
日常生活で使えて、今よりいろんなことがわかって、心が楽に生きて行ける方法はないかな?
そうだ、自分がなんでいつもこんな風に苦しくなるのか、その原因が知りたい。
原因がわかれば対処の方法もあるんじゃないだろうか??

私は自分で意識して霊的な成長をしたい。
そうしなければ私は壊れてしまう。この八方塞がりの状態を破って生きて行くには、
後はこれしか道はないんじゃないか?
――――――
こんなふうに思うようになりました。
当時は、ここまではっきりと「霊的な成長」という意識はありませんでしたが、
成長したいのは体でも心(精神)でもなく、その上の魂や本質のレベルのものだ、
という漠然とした思いはあったと思います。

私の疑問に答えてくれたり、ヒントを与えてくれる人も、出来事も、
自分の外側の世界からは得られませんでした。
外側の世界からの情報、つまり自分以外の人の言った言葉や、親、教師、
もっとあいまいに社会の常識などからの言葉では、自分の中にしっくり入ってこないんです。
言われていることは頭では理解できるんだけど、じゃあどうしたらいいの?ってところがわからない。
その答えは誰からも得られない。
つまり「答えは自分で見つけるしかない」という所に、やっと自力で辿りつきました。

そんな頃、催眠療法と出会ったのです。
「自分の前世が分かったら、今自分が悩みぬいてしまっている原因が分かる」気がして、
催眠療法士養成のクラスに通い始めました。
実際やってみたら、ただ前世が分かっただけでは癒しにはつながらないんですが、
それでも催眠療法のクラスに通っている時は毎回新たな発見があり、
新しい自分に生まれ変わっていくのがはっきり分かりました。
当時は看護婦を続けながら通っていましたが、周囲の人に対する見方が変わって行きました。
少しづつ楽になっていくようであり、また新たな自分が発見できたことで、
自分のおかれている状況とのギャップが強くなり、新たな辛さも生れて来たのですが。

自分の心が辛い原因が、クラスの中で行う幼児期退行や前世退行、先生の話、
クラスの仲間同士の励まし合いなどで、だんだんと「癒されて」いきました。
クラスは6ヶ月で終了し、その時点では大分前向きになっていましたが、
まだまだ知らない事が一杯ある事も分かりました。
もっともっと、楽に生きる道を求め始めました。
そして、また出会ってしまいました・・・現在やっている、リーディングとヒーリングのクラスに。

病院の3交代では、クラスのスケジュールとのやりくりが難しいため、
退職してリーディングとヒーリングのクラスに通うことに決めました。
やっと入った病院を退職するのはとても勇気が要りましたが、
ガマンしてまで何かを続ける事は、もはや出来ませんでした。
「知ってしまった今では、知らなかった昔には戻れない」ってとこでしょうか。
様々な紆余曲折はありましたが、やっと心から好きな事を見つけました。
ヒーリングやリーディングをしているときは、とても楽しくて幸せです。むふ。

(おわり)   


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2009年10月27日

私の職業3

結局その病院には丸3年勤務しました。
看護婦の仕事の特殊さの一つには、日常的に多くの人々の死の場面に立ち会う事がいえるでしょう。
3年と言うと短い方かもしれませんが、それなりに多くの方の臨終の場面に立ち会いました。
臨終の場面には、その人の人生が全て現れると言えるような気がします。
しかし、どんな人生を送ってきた方でも、魂の世界に返っていった後の肉体は、
安らぎと静けさに満ちていて、いつも敬意を表さずにはいられませんでした。

私のいた病棟には常に50人前後の患者さんがいましたが、どの瞬間にも様々な段階がありました。
死に直面している人も、治って退院する人も、入退院を繰り返す人も・・・
看護婦はどの患者さんへも平常心で接する事を求められます。
死を迎えている患者さん・家族の方々に掛ける言葉もなく、落ち込みながら部屋を出ても、
その気持ちを引きずったまま、元気を取り戻した患者さんの所には行けません。
私は「無感動・無表情」の仮面を着け、淡々と仕事をこなしていく事を選びました。
先輩たちの中には、患者さんと一緒に泣いたり笑ったりする、
人間味あふれる人もたくさんいらっしゃいましたが、私にはそれは出来ませんでした。
きっと、経験から来る余裕が出てくるまで待てば良かったんでしょうけどね。
患者さんと感情を共有したが最後、自分の中の何かが崩れてしまいそうでした。

臨終の場面だけでなく、看護婦としての重要な役割の中に「患者教育」というのがあります。
例えば、胃潰瘍の患者さんの場合、日常生活やストレス等が大きく関係していると言えます。
ストレスが多い生活・ヘビースモーカー・食生活の乱れなどが重なれば胃に穴が空く事もあるでしょう。
そんなサラリーマンのお父さん達に(サラリーマンが多かったなぁ)
「胃潰瘍にならない為にはどうするか」という教育をするのです。
一時的には内科的治療や安静、ストレスの原因になっていた職場から離れる事で胃の穴も治って退院しますが、
数ヶ月後、再びその人は胃潰瘍で入院してくる事も良くあります。

私のいた内科病棟では、昼休みに、看護婦それぞれが、受け持っている患者さんに対しての看護計画を発表し、
それについてみんなで意見を出し合う、というカンファレンスをしていました。
ある日私は、自分の受け持った胃潰瘍の患者さんに対する看護計画を発表し、
さらに深くその人の生活背景なども考えながら看護婦同士で話をするうちに、
「タバコをやめましょう」など、物理的現象だけに注目して伝えるだけでは全く効果がない事に、私は気がつきました。
『この患者さんも、胃によくないと頭ではわかるけど、だからといって仕事をやめられないし、禁煙も無理、
 となったらどうすればいいんだろう?看護婦は何が出来るんだろう?
 もっと深いレベルで働きかけないと、人は簡単には変わらないんじゃないか?
 でもこの場合、本人が本当に胃潰瘍になりたくないと思って行動するなら、
 結果として職場を変わったり、禁煙出来る様にもっと積極的に行動するかもしれない。
 それが出来ないと言っているうちは、無意識のレベルでは病気になる事を選んでいるのではないか?
 じゃあ、無意識に働きかけるにはどうしたらいいんだろう?他に何かやり方があるんじゃないか?』

エネルギーヒーリングが看護学校の必須科目になっている国があったり、
ヒーリングを含めた代替医療が、健康保険の対象になっている国もあると言う話も聞いたことがあります。
だけど今の日本でそれは望めませんし、ベットサイドで看護婦がヒーリングなんて始めたら
大問題になってしまいますね。

私の中ではこういう結論に達しました。
「もっと深いレベルで、人に本当の変化をもたらす事が出来ないだろうか?」
それは、当時の自分自身にも通じるものでした。

その頃、プライベートでも恋愛関係の大きな壁にぶつかっていました。
理由は、いつもの失敗のパターンをまた繰り返そうとしているのでした。
二度と同じ失敗はしないように、と自分に言い聞かせたり、努力していたのですが、
全く効果がないのです。
しかも自分の中では、仕事で大変な思いをして少しは人間的に成長している様な気がしていたのに、
全然違うんです!!
「人は苦労したり、大変な思いをたくさんするほど成長する」という
大昔から言われてきた誰かの言葉を信じて、自分に当てはめようとしていた事に気がつきました。
(その言葉もある一面から見ればそうかもしれませんが、
 今では『人の成長は苦労の多さでははかれない』事を体験を通じて知っています)

仕事にもプライベートにも、全てに行き詰まった私は、ますます表情がこわばっていきました。
20代だったら、この状況を改善するためにまた新しい世界に飛び込んだ事でしょうが、
これ以上職業を変えて必死で勉強しても、心の平安は得られないと分かりました。
ついに八方塞がりになってしまいました。

(つづく)   


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2009年10月27日

私の職業2

憬れの看護婦になった私は、「これでやっと人生の中で一番素晴らしい自分になれるんだ」と、意気込んでいました。
配属されたのは内科病棟です。ここは血液疾患患者のためのクリーンルームもある病棟で、
白血病や悪性リンパ腫、骨髄腫などの患者さんが約半数いらっしゃいました。
後で分かった事ですが、この病棟の婦長さんは、私の亡くなった友人が入院していた時も
同じ病棟の婦長で、彼女の事も知っていました。ここに来る意味があったんだと思います。

ずっと自己探求を続けてきた私ですが、いつもとても大事な事に気付かずにいました。
クレアボヤンス的表現をすると、「今の瞬間にいない」という事です。
いつどこで何をしていても、「今の瞬間」を幸せに感じられなければ、いつになっても幸せは訪れないのです。
それまでの私は、常に未来を夢見ていました。
「この仕事は本当に自分が求めている仕事じゃないから辛いし、楽しくないんだ。
私はもっと自分にあった仕事に就けば必ず幸せになれる!」と信じていました。
現実逃避ばかりしていたのかもしれません。
次の新しい仕事を見つけ、新たな世界に飛び込んでは物足りなくなり、また次の仕事を探す、という事の繰り返しでした。
未来を見続けると同じに、過去にも縛られたままでした。
幼い頃のトラウマや、両親の不仲から来る怒りなどをバネにしていました。
未来を夢見るのも、過去の悔しさをバネにするのも、一見バイタリティに溢れた良い事の様に感じます。
でも、いつも「今の瞬間にいない」ままだとすると、一体いつになったら幸せになれるんでしょう?

まあ、とにかく大変な思いをして看護婦になった訳です。必死でした。
まず、つまずいてしまったのは年令の壁です。私は29歳で新人です。
29歳というと、順調に来ていれば看護婦としては頼りにされるお年頃です。
分かっていた事ですが、自分より年下の先輩達が病棟の中心になって働いているのを見て、愕然としました。
若い先輩たちに手取り足取り教えてもらわなくては何も出来ない私。何をやってもうまくいきません。
「今が一番大変なんだ、自分がなれる最高の職業に就くことができたのだから」と、毎日が緊張の連続です。

そんな私も半年くらい経つうちに何とか、一人でも動けるようになってきました。
同僚や先輩たちとも笑顔で接する事が出来る様になり、看護婦としてのやりがいも分かりかけてきたような・・・

(つづく)   


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2009年10月27日

私の職業

子供の頃の夢って何だっけ?・・・お花屋さんだの、保母さんだの考えていたのかな?
その中に看護婦の夢もあったような気がします。
私は小学校5年生くらいの時から、進路を漠然と考え始めていました。
それまでは勉強も大っ嫌いで、よく両親に怒られていたのですが、
ある日突然やる気になって勉強を始めたので、親も驚いていました。
「大人になるって、これから受験とか一杯やらなくちゃならない・・・面倒くさいなあ」と
大きな絶望感も感じていましたが。
高校受験の頃、仲の良い友人のひとりが准看護婦学校に入って看護婦になる道を選びました。
(当時は中学卒業と同時に、定時制高校に通いながら准看護婦学校にも通える、というシステムがありました)
その話を聞いた時、妙に焦りを感じた事を覚えています。
でも私は普通高校に通う事しか考えられず、
「私が看護婦になるにはかなり遠回りしなくちゃならない」と、なぜかその時思いました。
やりたいことが一杯あるから、きっと素直に看護学校には入らないだろうと分かっていたんでしょうね。
自分は看護婦になるだけじゃ絶対収まらないって。私、欲張りなんですよ(^^)V

高校を卒業して、就職(某デパートの販売員)

専門学校(コンピュータープログラマーになるべく、情報処理の資格をとる)

神奈川県内の会社に就職し設計の仕事に就く
という2・3年サイクルで自分探しをしていた頃のことです。
高卒で入った某デパートの同期の友人が白血病で緊急入院してしまいました。
彼女は私より5歳年上でしたが、なんでも相談出来るお姉さんのような存在でした。
入院したという話を聞いた時から「私は看護婦にならなくてはいけないんじゃないか?」と思うようになりました。
2年間の闘病生活の後、彼女は亡くなりました。
その時も看護婦にならなくちゃいけないんじゃないの?と何度か思いましたが、
すでに神奈川県内での設計の仕事が楽しくなっていたし、また受験して大変な思いをするなんてとんでもない!無理無理!
当時は「男性並に働ける女性になる」事を目標にしていたので(!)、
片道1.5時間の通勤と、多い月では残業80時間、という生活をしていたし、やりがいも感じていました。

ところが、というか当然というか・・・
友人の死から半年くらい経った夏、そんな生活があだとなり、私は過労で入院してしまいました。
幸いそれほどひどい病気ではなく、6人部屋の中では一番若くて元気な患者だったので、
向かいのベットのおばあさんがちっとも食欲がでないのを、看護婦さんと一緒になって心配したり、
時々おせっかいをやいたりしていました。
ある日看護婦さんと一緒におばあさんのベットサイドに立ち、「食べないの?困ったねえ」
なーんて言っている時、「はっ!!」と気がついてしまったのです!
「私、白衣着てない!どうしよう、恥ずかしい!!」
つまり、自分はすでに看護婦になっていて、勤務なのにパジャマで出てきてしまった、という妙な錯覚をしたのです。
おまけの極めつけ、その翌日に造影剤という薬液を注射してレントゲン撮影をしたのですが、
その造影剤が体に合わず、全てのレントゲン撮影が終った直後に、
全身の筋肉が「ガツーン!」という感じで、硬くなり縮んでしまうという、一種の急激なアレルギー反応を起こしてしまいました。
両手、両足、首、舌も自分の意志とは関係なく縮んでしまうんです!!
呼吸も苦しくなり、もう死ぬかも?と思いました。
恐いやら苦しいやら、看護婦さんもお医者さんもドタバタしての大騒ぎとなりました。
すぐに適当な処置をしてもらい、しばらくすると体も呼吸も元に戻りました。
とうぜん、撮影を始める前にテストもして異常はなかったんですけどね。
「これはダメ押しかな」と思いましたね。

そこで私はついに決心しました。「看護婦になれってことだわ」
受験の苦労も、看護学校での困難さも想像しましたけど、もう、やってやるよ・・・(++;

翌年の4月に静岡の准看護婦学校に入学、短大の看護2科と無事に進学し、
晴れて29歳で看護師になる事ができたのです。
あ~大変だった。ホントにもう、冗談じゃないわ。20代は勉強で終わってしまったわ。

漠然と何かに導かれているような気がしはじめたのもこの頃かな?
それまではスピリチュアルな事には無縁だったし、霊感のようなものもない私ですが、
短大の看護科に通っている時、原付で4t車に巻き込まれて原付が大破するという事故に遭いました。
ところが私は巻き込まれる寸前のところでスッと立ちあがり、服にかすり傷さえつかなかったんです!
その時、原付のポケットの中に、海外移住する友人のために描いた阿弥陀仏や不動明王など、
4枚ほどの写仏画が入っていたんですが、原付は車体の真中まで引きずりこまれたのに、薄い紙に書いた写仏画も無傷でした。
この事があってから「看護婦になるように動かされたのも私や写仏画が無傷だったのも、
「目に見えない力が動いている」と強く思うようになりました。
(実は短大は入試で落ちたんですが、追加合格ですれすれのところで入れた、と言う経緯もありました。)

そして、念願の総合病院の病棟看護婦になった私を待ちうけていたものは・・・?!
つづく。(たぶん)   


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2009年10月27日

友人の体験談

私の友人の体験談です。私が催眠療法のクラスを受講しているときから練習台になってもらったりと
何かと協力的で(というより興味津々)、彼女の存在には重宝していたんですが・・・(^^)
彼女はその後もヒーリング、リーディングも受けていていました。
いつどんなセッションをしても、彼女にとって父親との課題は常に現れていました。
でもまさか、こんなかたちで大きな愛情を目の当たりにするとは私も思っていませんでした。


私の父は5月に亡くなりました。亡くなる前後にとてもいい体験をさせてもらいました。
私は中学生の頃からこの体験をするまでの約20年、父に対してずっと嫌悪感があり、
自分は父から愛されていない、そして自分も父を愛していないと思っていました。
父は長年アルコール依存症や糖尿病を患っていました。家族が父の体を心配しているのに、
それに対して父が応えてくれようとしなかったのが嫌悪感の一番の原因でした。
私は何度も泣きながら父に「お酒を止めて!」と頼みましたが無駄で、その度に
「娘の私が言っても改めようとしないって事は、この人には私なんてどうでもいい存在なんだろうな」
という気持ちがどんどん強くなりつつ大人になっていきました。
もうここまで来ると心配半分、勝手にすればが半分という感じで、どうしていいかわからない状態でした。
そんな時、今から2、3年前に岩崎さんからオーラや過去生、全ての事には意味がある、
などの話しを聞く機会がありました。
初めて聞くはなしばかりでしたが、なぜか自然と納得出来ました。そして、父との事を見てもらいました。
その時の結果は「お父さんは愛していないのではなく、ただ愛情表現が下手なだけ」でした。
「あぁ、そうかなるほど・・・それでなんだ」と納得しつつも、どこかまだ心の底からはそう思えず、
月日が経ってしまいました。
受けてその場ですっきりすることもあれば、後々すっきりすることもあると聞いていましたが、
私の場合は多分一生気付かずに終わっちゃうな、くらいに思っていました。

そして2、3年が経ち、父の体調が崩れてきたある日、いつも通っている整体の先生の所へ行きました。
その先生は時々、何かの講演やいい番組を録画して施療中の患者さんも聞けるように大音量で流す事があるのですが、
私が行ったその日も何かの番組が流れていました。
最初は気にもならなかったのですが、ふと耳を傾けたら、なんとそれが正に、いつか岩崎さんに見てもらった時と同じシーンだったのです。
そのカウンセラーらしき人が
「うーん、あなたの父親はあなたの事を愛していなかったのではなく、
 ただ単に愛情表現が下手なだけで、それをあなたはそのまま受け取ってしまったから
 愛されていないと思ってしまったんですよ。」
そう言っている声が聞こえた時、私はなぜか施療中にもかかわらず泣き出してしまいました。
それは、言葉が耳や頭に入ってきたと言うよりグオ~ッと心臓に入ってきたと言う感じでした。
そこからはもう自分でも止められないくらいに次々と心の声(?!)みたいなものが湧いてきました。
頭で考えて「ふむふむ」と言う感じではなく、勝手にポンポンやってくると言う感じでした。

最初は心の底から「お父さーん!!」って湧いてきました。
「ん?あの家に住めて、ご飯食べれて、学校いかせてもらって・・・これって誰のおかげ?
 お父さんじゃん!!あー、今まで当たり前過ぎて気付かなかった、今まで私は何やってたんだ?!
 感謝するって事、全然していなかった!」
私が3、4歳の頃に父のひざの上に座って二人ともにこにこしている写真があるのですが、
それがぱっと頭に浮かんできて、本当に心の底から
「あー、私って愛されてたんじゃん!」
昔、母がよく「あんたは小さい時お父さんが会社に行く度に窓あけて、
 姿が見えなくなるまでおとうさーん、おとうさーんって毎日毎日泣いて困ったよ」
と言ってた事を思いだして、
「私もお父さんを愛してたんじゃん!」
これらがいっぺんにどばーっとやってきた感じでした。
自分でも、びっくりするやら感動するやら、何が起きたの?って状態でした。

その後少し冷静になって考えたら、私達はお父さんの体が心配だからと言いつつ、
「お父さんが倒れでもしたら私達が大変になるんだから、気を付けてよね!」と言う気持ちがどこかにあって
感謝していなかったからなかなかいい方向にいかなかったんだろうなあ、と思いました。
あんなに父の事が嫌いで理解しようともしなかった私ですが、こうやって気づく事が出来て、
初めて「お父さんの為に!」と思ってスープを買ったりしました。
はやくお父さんに渡したいなあ、と思っていた2、3日後に父が末期ガンで余命数ヶ月と母から聞きました。
ショックでしばらくボーっとしてしまいましたが、すぐに切り替えて
「せっかくお父さんの事大好きになったんだから、支えなきゃ!」と思い、
入院先でもいろいろ話しをしたり、手をさすったり(父に触れると言うのは前の私では考えられない事でした)、
なんか愛しいくらいでした。
父はその1ヶ月後くらいに苦しまずに亡くなりました。

亡くなってすぐは、「なんでもっと早くお父さんに優しくできなかったんだろう?」と後悔したり、
「嫌悪感を持ったままのほうが、亡くなった後自分も気持ち的に楽だったのかも・・・」と思ったりしましたが、
後悔すればしただけ何かが変わると言う事でもなく、起きた事は変わらないし、
嫌いなままお父さんとお別れしても多分何も気付くものはなかったんだろうなぁ。
大好きになったおかげで色々気付く事が出来たし、「気付くのがもっと早ければ」ではなくて、
「あの時じゃなきゃ気付かなかったんだよ!だからこれで良かったんだ!」と思えるようになりました。
今は、お父さんの娘で良かった、お父さんありがとうね、と幸せな気分です。

悲しい辛いと言う出来事も、あぁ切ない切ないといってただそのまま終わる事もあるけれど、
嬉しい事だけでなく、悲しい事も見方や受け取り方次第で感謝出来るんだな。
本当に全ての事には意味があって起きているんだ・・・成長させてくれる事だったり、
すべてがいい事に繋がっていくんだなあ。全ての事に感謝だなあ、と実感しました。


彼女の場合、現世での肉体を持ったお父さんとのワークはラストスパートがすごかったようです。
整体の施療中に聞いた番組で彼女が覚醒(!)した時、
催眠療法で誘導した時に見た父娘で遊んだ場面や、その後のリーディングなどでオーラに現れていた情報が甦り、
「これかぁ~」とわかったことがいくつかあったそうです。
彼女はお父さんが元気な頃、時計をあげた事もあったそうですが、その時は気持ちがこもっていなかった。
数万円する気持ちのこもらない時計よりも、気持ちのこもった百円位のスープの方が測りきれないほどの価値があったんですね。
お父さんは結局そのスープは飲めなかったそうですが、飲む・飲まないではなく、
スープを選んでいた彼女の行為そのものが「愛の権化」ってなところでしょうか?!
ある人生の大きな節目に自分がこんな形で関わっていたんだと思うと、不思議な気持ちがします。

人生それぞれ、こういった形で愛を表現する場合もあれば、そうでない形もある。
憎しみあって今生終わることも、亡くなってから分かる人も、分からない人もそれぞれの選択ですね。
どの選択が良いも悪いもない。良い、悪いの性質を決めるのも結局は自分自身なんだと思います。   


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2009年10月27日

CD

面白いもの、第二弾です。
今度はCDなんですが、宇宙のバイブレーションを音に変換したと言う
「ネオ スペースサウンド リミックスシリーズ」#1~5まであるうちの#4「ESP」です。
1990年にNASAのボイジャーが宇宙で採取してきたデータをもとに作られたそうですが、
聞いているだけで深いリラクゼーション状態になり、イメージが見えた、汗がふき出たなどの効果があったそうです。
特に日本人にその効果が顕著にみられたとか・・・
#1は穏やかな気持ちになる、#2はリラックスなどそれぞれ目的が違うそうですが、
私が買ったESPは、第6感を研ぎ澄ませる、五感が鋭くなる、気が出やすくなるといった効果があるとのことでした。
こういうものをみつける時は特に出会いを感じるんですが、静岡の繁華街(呉服町通り!)を歩いていた時、
静岡人なら誰でも知ってるCDショップの「す○や」の前を通りかかりました。
①「用事はないんだけどなんか今入りたい気がする・・・」
②「ヒーリング関係のCD売り場に行きたい気がする・・・」
と、二胡やバイオリンのCDを物色して、帰ろうかな?と思っていたら!E・S・Pの文字が目にとまる!「ん?これなんだ?」と即購入~!

このCDを聞くにあたり、注意事項がいくつかありました。
・オリジナルのCDで聞く事。コピーされたものは特殊な信号が消えてしまい、効果がなくなるそうです。
・車の運転中は不可。深いレベルの催眠状態に導くので身体反応が遅くなり、危険。
その他、BGMのような聞き方はしない事、寝てしまってもいいような状態で聞く事などがあげられていました。

ところで皆さんは、催眠状態を体験した事ありますか?
私はヒプノセラピースクールに通っている時に初めて催眠状態を体験しました。
知らぬまに寝てしまっていたり、体の一部が重くなったり、どこかの筋肉がぴくぴく動いたりし、
催眠からさめた時にはとーってもすっきりと気持ち良かったです!
どのくらいすっきりかと言うと、小学校の夏の午後に水泳から帰ってきて部屋でかーっと昼寝をしてしまい、
はっと目がさめた時のあの気持ち良さです!
(ヒプノの時は催眠状態になってから以前紹介したような辛いビジョンを見たりするんですけどね。でも、泣きながら覚めてもなんかすっきりしてましたけど)
私がこのCDを聴いた時は、下半身の感覚がなくなり布団との区別が分からなくなったり、いろんなビジョンが楽にリアルに見えたりしました。
宇宙がリアルに感じられます。グラウンディングを強くしないとちょっと恐いです。
そして必ずと言っていいほど毎回寝てしまいます。
そのためか、聞いていない時にはどういう音なのか思い出せないし、毎回違った初めて聞く音に聞こえるんです。
一定のリズムを持った曲ではないし、起きて聞いているわけでもないから覚えないのかもしれませんけど・・・
なんか不思議なんですよね。
で、CDの効果はといいますと・・・うーん、ビジョンが楽に見えるようになったかなぁ。
今はよくわかんないですけど、これ、ほんとに強力なのでまだ今後効果が出て来そうだなとわくわくです。   


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2009年10月27日

ひまし油湿布

ひまし油湿布とは、エドガーケーシーがリーディングで勧めていたもので、ひまし油を塗った布を体に巻き、皮膚からひまし油を吸収することで免疫力の向上や痛みの緩和などに効果があるという結果が出ているそうです。
ひまし油は「キリストの御手」とも言われるくらい、ヒーリングパワーがあるそうです。

「ひまし油しっぷキット・12000円」気がついたら買ってました!
興味津々。エドガー・ケーシーのリーディングでこれを紹介されている事例では
大変な病気になって困っている人が多いようですが、私の場合単なる好奇心です。(^^)v
ワクワクしながら送られて来た箱をあけてびっくり!
大人用オムツ(フラットタイプ)が目に飛び込んできました。ナ、ナンダ?オムツ?
あと、A4判くらいのやわらかい素材のヒーター(コンセント付き)、フランネル布。
ひまし油とオリーブ油も別途購入しました。(オムツはラップで代用できるようです)

中に入っている説明書を見ながらやってみました。
板オムツのビニール側に置いたフランネルにどっぷりとひまし油を含ませ、右の腹回りに巻きます。
その上から温熱ヒーターを巻き、バスタオルなどをひいた布団に横になり、1時間くらいゆっくり休みます。
これ、私は一人でやるんですが、誰かに見られたらまぬけだなーって姿なんですよね。やって見ると分かります。
上半身はだかで「あれ?あれ?」とかいいながらじたばたしてるんですから・・・
(それと、コンセントの位置も確認必要ですよ!温熱ヒーター使いますから。)
で、まず「うへぇ~」って思ったのがその感触!!
だって油ぎとぎとの布をお腹に巻くなんて経験、生まれて始めてじゃないでしょうか?!
ところが、ぺっとりした布の感触を楽しみながら(?)布団に横になったらいつのまにか寝てしまってました。
これがまたなんとも!気持ちイイんですよー。何がって、なんでしょうね、ふわーって感じなんです。
ヒーターが暖かいのもあるかもしれませんが、それだけではないみたいですよ。
ふしぎふしぎ・・・お風呂に入って体をさっぱりした後、布団に入って忘れずに目覚ましをかける事をお薦めします。きっと寝ちゃうから。
ところでこのひまし油しっぷ、スケジュールがあるんですね。
「3日やって4日休む」を1クールとし、それを3クール行います。それが一応基本ということだそうです。
それと、1クール終了の日のしっぷ後にケーシーの勧める製法で作ったオリーブ油をお匙1杯こくりと飲む。
(これも私はちょっと’うへぇ~’)それがまた毒素排泄に効くそうです。
あと、毎回しっぷを始める前に準備しておいた方がいいと思うのは、シップ後のふき取り用の重曹溶液。
重曹はスーパーで100円くらいで売ってます。
私はボウルに予め規定量の重曹を入れておき、お湯とタオル地のようなやわらかい布(ハンカチでいいみたいです)も準備しておきます。
ひまし油って蜂蜜みたいにべとべとしてるんですよ。これが服についたりするとしみみたくなっちゃうし、始末におえない。
いろんなところにべとべとつかないように注意が必要かもしれません。

で、肝心の効能なんですけどね。
私は20代になってから生理痛がひどくて、特にここ10年くらいは毎月痛み止めを飲まなくてはいられなかったんです。
特に始めが痛いんですが、1クール目の2日目くらいから生理が始まったのに痛くない!ほんとに!
その月はとうとう1度も薬を飲まなくて済みました。(・。・;)びっくり。
まー1度目は偶然かもしれないしな、と思いつつ、(今に至るまでしっぷもその時の3クールしかやっていないんですが)
次の月も痛み止めをつかわなくて済んでしまいました。
全く痛まないわけではなく少し鈍重感はあるのですが、今までの痛さとは比べ物にならないくらい楽だったんです。
今月はどうかな?なんだかわくわくどきどきしちゃいます。

いやー、おもしろいですよ色々あって。
スピリチュアル系の情報って、今まで思いつきもしなかったような話がでてきたりして、
それが効果あったりするからおもしろい。ひまし油しっぷはかなりお勧めのネタです。皆さんもぜひ!
(あの、これをやれば皆さんも生理痛がなくなるって言う話じゃないのでご了承ください・・・
 でも、試して見たい人はやってみることをお勧めします!
   


Posted by ピュアライト at 11:06Comments(0)ひまし油

2009年10月27日

肝臓の声

ある日私は歯磨き粉を買うために薬局にいました。
あれこれ選んでセールで98円だったカラフルな色のにしようと手を伸ばしたら、
「そんなのイヤ~」と小さな声で肝臓が訴えているのに気がつきました。
私は「なんで?」と思いましたが、自分の内臓の声を尊重し改めて「界面活性剤を使わないせっけん歯磨き」なるものを選んだら
今度は肝臓は黙っていました。それは初めに選んだものより値段は2、3倍はするものでしたが、ここで色々考えました。
まず、肝臓について。
肝臓って別名「沈黙の臓器」っていわれるくらいのがんばりやさん。
生体の化学工場として解毒やら何やら重要な役割を文句も言わずに黙ってこなす、ありがた~い臓器なんですね。
肝臓の病気で自覚症状が現れたら、病気はかなり進行しているとも言われるくらいだそうです。
その肝臓が必死の声でやめて、と訴えるのは相当な事なんだろう。
いやまてよ、今まで散々そういったものを使ってきたのにどうしていまさら?
保存料、添加物、洗剤などに気を使うように、歯磨き粉だって口の中に入るんだから同じだって伝えたかったのかな。
肝臓にとっては重要なポイントを占めているんだろうな。
1回に使う量はわずかでも、毎日2、3回を何十年と思うと体に影響が出る可能性もあるのかもしれないな。
次に、お金の使い方について。
初めに買おうとしていたものは98円、買ったのは300円くらいのものだったので200円も高い物を買っていました。
その値段の差だけに注目すると高い買い物をした事になります。
でも、その98円をずっと使いつづけ、体に深刻な影響が出たとして入院や通院となると本当にお金がかかるのはどっちだろう?
お金がかかる事=悪い事、と言う捕らえ方ではなく、使わなくても済みそうなお金や無駄なお金はかけたくないな、と思うのです。
そして、今の生活環境全般について。
そんな事言ったら、体に有害なものを全く避けて生活出来るのか?と言われたらそれは出来ないと思います。
人間側だけでなく地球にとっても有害なものを出さずに人間が生活する事は今の段階では出来ないでしょう。
じゃあ、どうしよう。山にこもって仙人みたいな生活すればいいのかな?でもそれが本当に健康だといえるのだろうか?
仮に私がそういう生活するとしても、文化的社会的生活を絶ってしまったら精神面での健康を保てないでしょう。
現代社会にどっぷり漬かっているし、楽しく暮らせているので・・・(^^)v
うーん、いつもこのへんで思考がスタート地点に戻るのですが、
「じゃあ、私は何の為に生れて来たの?」「私の人生の目的はなに?」「私の魂の目的は何?」
・・・肝臓の声さえも、魂の探求のきっかけにする事が出来るのかもしれません。
そして私は体によくないものをとり入れつつも、大好きなヒーリングやリーディングをしたり、日々の魂の探求を楽しんでいるのでした。   


Posted by ピュアライト at 11:02Comments(0)スピリチュアル

2009年10月27日

過去世体験 ロシア編

スイス編の次に見た私の前世のお話し。
私はロシア革命の時代(1800から1900年くらいの時のです)に男として生れ、
革命家として皇帝制度を倒すべく活動している革命家でした。
背も高く、容姿端麗で男としての魅力に溢れていました。
革命家の中でも幹部クラスだったようで、常に命を狙われている立場でした。
恋人(か妻か不明)らしき人もいて、思想を貫き通すか愛をとるか、深い悩みも抱えていました。

初めに地下のアジトの場面、私は小さな壇上にたち、ぎゅうぎゅうに入った人々の熱気と煙草の煙でむんむんする中、
「一致団結してがんばろう!」と演説していました。(その中で私にとても協力してくれている一人の男性は現世での親友でした)
柱の影に、仲間の顔をしているけど何か変だと思う男がいました。彼の目は無気味に光っていました。
その時、奴は裏切り者、スパイだと確信していました。(ちなみにこの人はスイス編で私と関係のあった男性と同一人物でした)

次は夜の街中を逃げ惑う場面です。ずっと仲間だと信じていたスパイに追いかけられ、狭い路地を必死で逃げ回っています。
まぶたの裏にやわらかい光を背にした恋人の姿が目に浮かんでいます。「せめてもう一目会いたかった」と自分の死を覚悟していました。
恋人の所へ行こうとして後をつけられ、彼女に被害が及ばないようにと一人危険な街中を逃げる事を選んだのでした。
恋人に対する思慕の情と、「これで自分は思想を貫く事が出来る」といった二重の想いと言うか、複雑な心境だった感じでした。
そしてついにある街角で鉢合わせになり、至近距離から胸を銃で撃たれて死んだのでした。

この人生では、信じる事への情熱を持ちつづける事や人を深く愛したこと、などを学んだようです。
この過去生を見て納得してしまったんですけど、革命って「権力への反発」ですよね。
そういえば高校生の時、「自分の中の信念と違う!」と思った事により先生の目の前で返されたばかりのテストの答案用紙を破った事があります・・・先生ごめんなさい。
これには友達の方があわててましたね。そりゃそうですよ、一番前の席で答案がかえって来た瞬間に
「なにこれ、こんなのテストじゃない!」といってテスト破っちゃうんですから・・・
なんで破ったかと言えば、授業中に「こういう問いでテストに出すから、ここの所を書けば良い」と先生は答えまで示したのに
その問いには「・・・についてどう思うか意見を述べよ」みたいなことが書いてあった(と思う)んですよ。たしか。
あの辺を書けばいいんだな、って分かってましたが、教科書の意見なんて書いたって仕方ない、自分の意見書かなくちゃね、
と言うことで自分の意見を書いたらかなり低い配分の点数しかもらえなかったと・・・いうわけでそんな事が起きてしまったわけです。
権力の反発なんてものよりくだらない理由ですけどね。(^^; エヘヘ
ちなみに教科は「家庭科」です。いやー、さすがに英語とかだったら破れないかもねっ!

ところで皆さん、池田理代子さんの「オルフェウスの窓」と言う漫画をご存知ですか?
これこそ、私が過去生で経験した時代の壮大な物語ですよ!!大、ダイ、だーい推薦です。かなりボリュームのある、読み応えのある漫画です。
小学校の時ベルサイユのばらにはまり、漫画を読み漁ってましたが、23歳くらいの時にこの漫画とであって、人生で一番はまった漫画だと思います。
仕事中も漫画の続きが気になって、好きなシーンが頭の中でぐるぐるしたり、読みながら本気で泣いたり・・・
私が逃げ回ったシーンもこの漫画の初めの方で主人公が街中を逃げる所とだぶるし、
この人生での切ない気持ちや人生をかけて思想を貫こうとした気持ちは主人公達が表現してくれているし。
あんなにはまった理由が自分なりに分かった感じです。皆さんも「なぜかこれが妙に気になる」などのことがあったら、
もしかして過去生で経験したことだったりするかもしれませんね。   


Posted by ピュアライト at 11:01Comments(0)過去世

2009年10月27日

家系図

まだ私がこういったスピリチュアルな事に興味をもつ前のお話しです。
何となく家系図を作ってみようと思い、チャレンジした事があります。
私のやり方としては
①知っている親戚たちの名前(わかれば生年月日)をとりあえず当てはめて図を作ってみる。
仏壇や墓石にかいてある名前も、分かる限り調べる。(もちろん両親共)

②存在はわかるけど名前がはっきりわからない人たちを市役所の戸籍謄本や除籍謄本をとって調べる。
例えば祖父の兄弟など。隣りの市まで出かけた事もあります。①で名前しかわからなかった人の関係がはっきりする事もあります。

③こうして調べながら、分かる名前をどんどん図に当てはめて行きます。

④市役所でも分からない所はお寺に行き、過去帳というのを見せてもらう。または、親戚たちに話しを聞きまくる。

もし、これをみて私もやってみようと思い立った方がいたら、④は御注意ください。知られたくない過去をおもちの年配の方もいるからです。
私の場合、おばの一人に事情を話して情報を聞きだそうとしたら表情が曇り「私の事も調べたの?」と聞かれました。
今ではよくある若い頃の過ちをひた隠しにしていたようですが「自分のルーツを知りたかった」と正直に話し、協力してもらえました。
又、流産してしまった幼い命、色々な事情で産まれなかった命の存在は自分から話したいとは思わないですよね。
お寺の過去帳も、ある所とない所があるようです。私は過去帳からは情報を得られませんでしたが、
除籍謄本などから色々なことが分かりました。最終的には5代前の「○○右衛門」さんまで追跡しました。江戸時代かなぁ?
といっても家系図全てが埋まったわけではなく、存在は分かるけれども名前はわからず空欄のまま、という所もあります。
その他、故人にまつわるエピソードや亡くなり方などを分かる範囲で別ノートに記録しました。
彼らを知る年配の親戚がいなくなってしまったら語り継ぐ人がいなくなってしまうからです。

家系図を作って見ると、本当に色々な事がわかりました。
誰も語ろうとしなかった事、調べてみて始めて分かった存在の人、養子だった人・・・
明治時代、子連れで出戻った女性などはどんなに肩身の狭い思いをしていただろう。
自分の血縁者の中にもものすごいドラマがあったんだわ―と驚きの連続でした。
しかも、教科書に載っているような他人ではなく、自分の血縁者たちが江戸時代に生きていたのだろうと思うと、
当たり前だけど「おぉ~」って言う感じです。
両親も積極的とは行かないまでも協力してくれました。そして、いざ出来あがって見ると「私にコピーちょうだい」
「私も欲しい」など、叔母たちが言ってきました。なんだ、みんな出来あがるの待ってたの?!

この話しには後日談があります。
それから何年かたち、わたしも無事(?)スピリチュアルな世界にどっぷりはまるようになりました。
家系図の事はすっかり忘れていたのですが、ヒーリングのクラスを卒業した後、卒業生として実習に参加していたときの事です。
実習では2人一組となってお互いにヒーリングしあいます。
私はヒーリー(ヒーリングをやってもらう人)として椅子に座って生徒さんのヒーリングを受けていました。
ヒーラー役の生徒さんが私の足のチャクラを浄化している時、「ご先祖様たちが喜んでいるけどなにかしたことありますか?」と言うのです。
私は思いあたらなくてしばらく考えてしまったのですが「そういえば家系図を作った事がある」というと、
「それです。とても喜んでいます」とのことでした。グラウンディングにも関係するような、とっても深い意味を持つものなんでしょうか。
そんな事は全く思っていなかったのですが・・・

ありがとうございます、ご先祖様たち。喜んでもらえてうれしいです。
あなたたちの肉体レベルの子孫たちはそれぞれ人生を精一杯生きています。いつかまた会いましょう。   


Posted by ピュアライト at 10:59Comments(0)家系図