2009年10月27日
出産!
2005年8月、初めての子を出産しました。
ずーっと子供は欲しい欲しいと思っていましたが、いざ妊娠してみると不安もありました。
だって、妊娠したからには産まなくちゃならないんです・・・当たり前だけど。
なんか怖いな~って思ってました。
母親学級にも行きました。一番気になったのは「病院へ来るタイミング」です。
一般的には「初産婦は陣痛が10分間隔になったら病院へ連絡する」と言われます。
でも私、「これが陣痛で間隔が10分になったってちゃんとわかるんだろうか?」って疑問でした。
そこで、おなかの子に「陣痛の始まりがちゃんとわかるようにしてね」って妊娠中からお願いしていました。
私の場合、お産の始まりは破水からでした。
破水したらすぐに病院へ来るように言われてましたので、早速病院へ向かいました。
病院へ着いてから2、3時間後、緊張しながら陣痛がいつ来るかと待っていると、突然下腹部のほうで何かが「バツン!」といって
弾けるような衝撃があって、急にお腹が痛くなりました・・・
もう、この痛さは間違いなく陣痛でした。ちゃんとわかるようにしてもらってうれしいなあ、このこと書き留めておこう、と
ボールペンでメモし書き終えたところで、インクがかすれてつかなくなりました。
見るとまだ充分インクはあるのに・・・これは、書く余裕はないからやめろってことか、必要ないってことだろうと思い、書くのはあきらめました。
そう、お告げ?通りそこから本格的な陣痛が始まり、書く余裕なんてまったくなかったのです。
(もちろん、お産が終わってすぐ、ボールペンはちゃんと書けてました)
それにしても陣痛って、痛いものです。普通の生活であんなに痛いの我慢することってないですから、どうにかなってしまいそうでした。
せっかくいろんなスキルをクリアサイトで学んだんだし、何が使えるか、使えるものは一つ残らず使ってみようと決めて臨んだ出産でした。
でもね、いざ陣痛が始まってみたらできることといえば「爆破」だけだったかなー。
(「爆破」というのは基本中の基本、簡単に言うと恐れなどにとらわれないようにするものです)
陣痛の波が来るたびに「痛さを爆破して、グラウンディングコードから緊張を抜いて・・・いてててー!」なんてやってました。
そのうち痛みを爆破するだけじゃ何かが足りないような気がしてきて、何が足りないのかな?と思っていたら、「私は子供を産むことが怖い」事に気づきました。
これ以上お腹が痛くなるのも怖いし、一人なのも怖いし!
この期に及んで!!もう陣痛来てるって言うのに、子供を産むのが怖いなんて!!
きっとそういう人はたくさんいるんじゃないかと思いましたよ。
私は20歳くらいのときから、いろんな経験したいと思い、学校に入ったり、就職したりといろんな世界を経験したけど、
反面いつでも早く母親になりたいとも思っていたのです。
で、15年経って念願の出産になったわけですけど、怖くてしり込みしてるんですよ。
その怖さが余計に痛みを強く感じさせているようでした。
さてどうしたらいいか・・・痛いも怖いも極限状態。
最後の最後に頼れるのは自分しかいないので、自分で自分を励ます、というよりほめてみようと思いました。
すると、私のインナーチャイルドが出てきました。とっても怖くて不安そうでしたので、「よくやってるね、もう少しだよ」と
心の中でインナーチャイルドに声をかけ続けたり、抱きしめて安心させたりしていました。
そうこうするうちに陣痛が進んで、「もういきんでいいよ」と助産師さんに言われました。
ここでまた、いきむのが怖い!としり込みしてたのでうまくいきめません。
だって、ここで上手にいきんだら・・・子供産まれちゃうんだよ~!ほ、ほ、ほんとに?!あたし子供産んじゃうの??
痛いのもピークだし(神様の意地悪!なんでこんな狭いところから子供をうむように仕向けたんだ?)、
怖いのもピークだし(でも、生き物はみんな狭いところから生まれて来るんだよな。鳥はタマゴ産むしさ。)
私の友達のあの人もこの人も、TVに出てる細くてスタイルのいいゲーノージンも、当たり前のように子供産んでたなあ・・・
じゃあ、あたしにもきっとできるってことか・・・生物がなが~い間繰り返してきたことだしね。
体は必死で痛みに耐えながらいきんでいても、想いはまったく普通と変わらず冷静に状況を見ていました。
そして「そうだ、産むのが怖いことを爆破しよう」と思い爆破した時、新たな命と対面できたのでした。
お産は初めてだったので比較できませんが、
クリアサイトで学んだスキルが役立っていたと思います。
自分でも後から考えてびっくりしたのが、痛い~!と叫びながらも冷静に自分を観察して、「この感情を爆破しよう」などと
できていたのなんか、そうだと思います。
お産なんていうめちゃくちゃ痛いときも頭の中は冷静で普通でいられるのは、結構いいかも。
妊娠中は漠然とした緊張もあって、いざとなったらクリアサイトで学んだスキルも全て忘れちゃうかも、って思ったけど
そんなことはなかった。
スキルの一つである、「頭の中心」にいられれば、習ったことを忘れる事はないです。
もちろん、グラウンディングコードを下ろして、今の瞬間に全てを持ってくるなどの他の基本のスキルも必要ですけど。
興味のある方はレバナ先生の本を読んだり、クラスに入ってみるのもいいかもしれません。
ずーっと子供は欲しい欲しいと思っていましたが、いざ妊娠してみると不安もありました。
だって、妊娠したからには産まなくちゃならないんです・・・当たり前だけど。
なんか怖いな~って思ってました。
母親学級にも行きました。一番気になったのは「病院へ来るタイミング」です。
一般的には「初産婦は陣痛が10分間隔になったら病院へ連絡する」と言われます。
でも私、「これが陣痛で間隔が10分になったってちゃんとわかるんだろうか?」って疑問でした。
そこで、おなかの子に「陣痛の始まりがちゃんとわかるようにしてね」って妊娠中からお願いしていました。
私の場合、お産の始まりは破水からでした。
破水したらすぐに病院へ来るように言われてましたので、早速病院へ向かいました。
病院へ着いてから2、3時間後、緊張しながら陣痛がいつ来るかと待っていると、突然下腹部のほうで何かが「バツン!」といって
弾けるような衝撃があって、急にお腹が痛くなりました・・・
もう、この痛さは間違いなく陣痛でした。ちゃんとわかるようにしてもらってうれしいなあ、このこと書き留めておこう、と
ボールペンでメモし書き終えたところで、インクがかすれてつかなくなりました。
見るとまだ充分インクはあるのに・・・これは、書く余裕はないからやめろってことか、必要ないってことだろうと思い、書くのはあきらめました。
そう、お告げ?通りそこから本格的な陣痛が始まり、書く余裕なんてまったくなかったのです。
(もちろん、お産が終わってすぐ、ボールペンはちゃんと書けてました)
それにしても陣痛って、痛いものです。普通の生活であんなに痛いの我慢することってないですから、どうにかなってしまいそうでした。
せっかくいろんなスキルをクリアサイトで学んだんだし、何が使えるか、使えるものは一つ残らず使ってみようと決めて臨んだ出産でした。
でもね、いざ陣痛が始まってみたらできることといえば「爆破」だけだったかなー。
(「爆破」というのは基本中の基本、簡単に言うと恐れなどにとらわれないようにするものです)
陣痛の波が来るたびに「痛さを爆破して、グラウンディングコードから緊張を抜いて・・・いてててー!」なんてやってました。
そのうち痛みを爆破するだけじゃ何かが足りないような気がしてきて、何が足りないのかな?と思っていたら、「私は子供を産むことが怖い」事に気づきました。
これ以上お腹が痛くなるのも怖いし、一人なのも怖いし!
この期に及んで!!もう陣痛来てるって言うのに、子供を産むのが怖いなんて!!
きっとそういう人はたくさんいるんじゃないかと思いましたよ。
私は20歳くらいのときから、いろんな経験したいと思い、学校に入ったり、就職したりといろんな世界を経験したけど、
反面いつでも早く母親になりたいとも思っていたのです。
で、15年経って念願の出産になったわけですけど、怖くてしり込みしてるんですよ。
その怖さが余計に痛みを強く感じさせているようでした。
さてどうしたらいいか・・・痛いも怖いも極限状態。
最後の最後に頼れるのは自分しかいないので、自分で自分を励ます、というよりほめてみようと思いました。
すると、私のインナーチャイルドが出てきました。とっても怖くて不安そうでしたので、「よくやってるね、もう少しだよ」と
心の中でインナーチャイルドに声をかけ続けたり、抱きしめて安心させたりしていました。
そうこうするうちに陣痛が進んで、「もういきんでいいよ」と助産師さんに言われました。
ここでまた、いきむのが怖い!としり込みしてたのでうまくいきめません。
だって、ここで上手にいきんだら・・・子供産まれちゃうんだよ~!ほ、ほ、ほんとに?!あたし子供産んじゃうの??
痛いのもピークだし(神様の意地悪!なんでこんな狭いところから子供をうむように仕向けたんだ?)、
怖いのもピークだし(でも、生き物はみんな狭いところから生まれて来るんだよな。鳥はタマゴ産むしさ。)
私の友達のあの人もこの人も、TVに出てる細くてスタイルのいいゲーノージンも、当たり前のように子供産んでたなあ・・・
じゃあ、あたしにもきっとできるってことか・・・生物がなが~い間繰り返してきたことだしね。
体は必死で痛みに耐えながらいきんでいても、想いはまったく普通と変わらず冷静に状況を見ていました。
そして「そうだ、産むのが怖いことを爆破しよう」と思い爆破した時、新たな命と対面できたのでした。
お産は初めてだったので比較できませんが、
クリアサイトで学んだスキルが役立っていたと思います。
自分でも後から考えてびっくりしたのが、痛い~!と叫びながらも冷静に自分を観察して、「この感情を爆破しよう」などと
できていたのなんか、そうだと思います。
お産なんていうめちゃくちゃ痛いときも頭の中は冷静で普通でいられるのは、結構いいかも。
妊娠中は漠然とした緊張もあって、いざとなったらクリアサイトで学んだスキルも全て忘れちゃうかも、って思ったけど
そんなことはなかった。
スキルの一つである、「頭の中心」にいられれば、習ったことを忘れる事はないです。
もちろん、グラウンディングコードを下ろして、今の瞬間に全てを持ってくるなどの他の基本のスキルも必要ですけど。
興味のある方はレバナ先生の本を読んだり、クラスに入ってみるのもいいかもしれません。
2009年10月27日
タバコの味
超まじめな高校生だった私が始めてタバコの味を知ったのは、18歳の春でした・・・
よく「始めは好奇心で」と言いますが、私の場合も単なる好奇心から始まりました。
と言っても日常的ではなく、たまにね。
高卒後すぐに社会人になったんですが、ストレスが増えるのと同時にタバコをすう機会も増えていってしまいました。
タバコって本当にやめられないんですよね。禁煙で苦労している人の気持ち、よ~っくわかります。
頭痛がしたり、気持ち悪くなったりして何度もやめようとするんですけど、その度に何度も禁煙に失敗していました。
それ以来禁煙のチャンスを探していましたが、10年ほど前に働いていた設計の仕事で、過労から入院したことがあります。
(私が看護師になったわけ・にも書いてありますが)
そのときに造影剤という薬を血管内に注射して、レントゲンを撮ったのですが、造影剤が体に合わなくて、
一種の急激なアレルギー症状を起こし、全身の筋肉の硬縮や吐き気、呼吸困難などに陥ってしまいました。
その時、呼吸のできない苦しさを始めて味わい、「自分から煙を吸って呼吸を苦しくすることはない」と、初めて禁煙できました。
ところがその後看護師となって、ストレスが増えたのを言い訳に、呼吸困難の恐怖も忘れ、6年ぶりにタバコが再開してしまいました。
タバコ再開後、1年くらいした時に、催眠療法のクラスに通うようになりました。
ある時、催眠療法のクラスの次回までの宿題で、「今自分がしていることで、体に害になるようなものをやめる」という課題が出ました。
そこで「タバコをやめよう」と思ったら、あっさりやめられたんです。それ以来1本も吸っていません。
何でやめられたんでしょう?
タバコを吸うのは、一種の依存症であるともいわれます。タバコの中にも習慣性のある物質が含まれているみたいです。
私の場合、心の中に何か満たされない部分があって、それを埋めるためにタバコに依存していたこと、
タバコなどに依存しなくても、本当に自分を癒す方法がある事が催眠療法のクラスで学んで身にしみて判った事で、
安心してタバコを手放すことができたのではないでしょうか。
以上、私のタバコにまつわる話でしたが・・・
水にクラシック音楽を聞かせて、美しい結晶の写真を撮った本が出版されていたり、
家畜や農作物にもクラシックを聞かせて(モーツァルトがいいみたい)味を良くするという話も聞いたことがあります。
これもいい波動を与えるという意味では、一種のエネルギーワークといえるのかも。
じゃ、直接エネルギーを入れる方法以外にも、タバコにクラシックを聞かせたら味が良くなるのかな?毒性がなくなるとか?
うーん、それを考えるなら、吸う人間を癒す方が先だろうな。
よく「始めは好奇心で」と言いますが、私の場合も単なる好奇心から始まりました。
と言っても日常的ではなく、たまにね。
高卒後すぐに社会人になったんですが、ストレスが増えるのと同時にタバコをすう機会も増えていってしまいました。
タバコって本当にやめられないんですよね。禁煙で苦労している人の気持ち、よ~っくわかります。
頭痛がしたり、気持ち悪くなったりして何度もやめようとするんですけど、その度に何度も禁煙に失敗していました。
それ以来禁煙のチャンスを探していましたが、10年ほど前に働いていた設計の仕事で、過労から入院したことがあります。
(私が看護師になったわけ・にも書いてありますが)
そのときに造影剤という薬を血管内に注射して、レントゲンを撮ったのですが、造影剤が体に合わなくて、
一種の急激なアレルギー症状を起こし、全身の筋肉の硬縮や吐き気、呼吸困難などに陥ってしまいました。
その時、呼吸のできない苦しさを始めて味わい、「自分から煙を吸って呼吸を苦しくすることはない」と、初めて禁煙できました。
ところがその後看護師となって、ストレスが増えたのを言い訳に、呼吸困難の恐怖も忘れ、6年ぶりにタバコが再開してしまいました。
タバコ再開後、1年くらいした時に、催眠療法のクラスに通うようになりました。
ある時、催眠療法のクラスの次回までの宿題で、「今自分がしていることで、体に害になるようなものをやめる」という課題が出ました。
そこで「タバコをやめよう」と思ったら、あっさりやめられたんです。それ以来1本も吸っていません。
何でやめられたんでしょう?
タバコを吸うのは、一種の依存症であるともいわれます。タバコの中にも習慣性のある物質が含まれているみたいです。
私の場合、心の中に何か満たされない部分があって、それを埋めるためにタバコに依存していたこと、
タバコなどに依存しなくても、本当に自分を癒す方法がある事が催眠療法のクラスで学んで身にしみて判った事で、
安心してタバコを手放すことができたのではないでしょうか。
以上、私のタバコにまつわる話でしたが・・・
水にクラシック音楽を聞かせて、美しい結晶の写真を撮った本が出版されていたり、
家畜や農作物にもクラシックを聞かせて(モーツァルトがいいみたい)味を良くするという話も聞いたことがあります。
これもいい波動を与えるという意味では、一種のエネルギーワークといえるのかも。
じゃ、直接エネルギーを入れる方法以外にも、タバコにクラシックを聞かせたら味が良くなるのかな?毒性がなくなるとか?
うーん、それを考えるなら、吸う人間を癒す方が先だろうな。
2009年10月27日
地震の気配
ある日静かにいすに座っている時、揺れているような感じがしました。
「地震?」と思い、電気のかさを見ても揺れていないので、気のせいだと思っていたら、しばらくして本当に揺れたことがありました。
そこで、「もしかして予知してたのかも?!」ということになり、それ以来この「揺れているような感じ」に注意していると、
前もって地震の気配を感じることがあるらしい、と最近気づきました。
ただそれは、数分後に小さな揺れを感じるときや、数日後に地球のどこかで地震があった、とニュースで知ったり、
気配を感じなかったのに地震にあうこともあるので、「予知できた」という次元ではないのですが・・・
「今揺れた?!地震来るかも?」と思っても、頭で考えてしまって神経過敏になってのことなのか、
ナマズ並の能力を発揮してのことなのか、見分けるのが難しかったりもします。
一つのパターンとして、{小さく揺れた気配がした時に、怖いと感じる}のは、自分が感じる地震が起き、
{大きく揺れた気配がした時に、怖いと感じない}のは、自分は感じないけど、どこかで大きな地震が起きる、と言う事のようです。
今のところ{大きく揺れた気配がした時に、怖いと感じる}ことはないのが救いなんですが。
最近では、大きい揺れの気配で怖くなかったのは、確か今年に入った位におきた中東での大地震、
先日の九州の地震などです。九州の地震ははっきりと前日の夜に感じていました。
しかし、2月に起きた茨城震源の震度5くらいの地震は、ここ草加市でも震度4を観測し、自分もすぐ気づいたんですが、全く気配を感じませんでした。
それどころか、普段から準備しておいた「避難グッズ」を、いらないからと片付けた日に起きたんです・・・
そんなものいらないというメッセージだったのかも。
何でこんなことに気づくようになったんでしょうね?
私、静岡市出身なんですけど、静岡は20年以上前から東海地震の危険が指摘されており、学校では避難訓練も盛んに行われていました。
そのせいかどうか、「地震は怖い」と言うプログラミングがしっかり刻み込まれているので、能力が出てきたのか・・・?
またはグラウンディングができている証拠?と、いい方向に捉えたりもしています。
関東に住んでみて思うんですけど、関東の小さい地震の多さに比べたら、静岡は地震が少ないです。
だから地震が来たときに大きくなってしまうのか?
私が覚えている静岡の地震は、小学校4年生のときの震度4、2~3年前の真夜中の震度5、くらいかな。
もう少しはっきり地震の起きそうな場所とかが分れば便利かな。いや~やっぱり分かるのもこわいな。
「地震の気配」が役立たなくてもいいから、グラウンディングはしっかりおろしておこう、と思うのでした。
「地震?」と思い、電気のかさを見ても揺れていないので、気のせいだと思っていたら、しばらくして本当に揺れたことがありました。
そこで、「もしかして予知してたのかも?!」ということになり、それ以来この「揺れているような感じ」に注意していると、
前もって地震の気配を感じることがあるらしい、と最近気づきました。
ただそれは、数分後に小さな揺れを感じるときや、数日後に地球のどこかで地震があった、とニュースで知ったり、
気配を感じなかったのに地震にあうこともあるので、「予知できた」という次元ではないのですが・・・
「今揺れた?!地震来るかも?」と思っても、頭で考えてしまって神経過敏になってのことなのか、
ナマズ並の能力を発揮してのことなのか、見分けるのが難しかったりもします。
一つのパターンとして、{小さく揺れた気配がした時に、怖いと感じる}のは、自分が感じる地震が起き、
{大きく揺れた気配がした時に、怖いと感じない}のは、自分は感じないけど、どこかで大きな地震が起きる、と言う事のようです。
今のところ{大きく揺れた気配がした時に、怖いと感じる}ことはないのが救いなんですが。
最近では、大きい揺れの気配で怖くなかったのは、確か今年に入った位におきた中東での大地震、
先日の九州の地震などです。九州の地震ははっきりと前日の夜に感じていました。
しかし、2月に起きた茨城震源の震度5くらいの地震は、ここ草加市でも震度4を観測し、自分もすぐ気づいたんですが、全く気配を感じませんでした。
それどころか、普段から準備しておいた「避難グッズ」を、いらないからと片付けた日に起きたんです・・・
そんなものいらないというメッセージだったのかも。
何でこんなことに気づくようになったんでしょうね?
私、静岡市出身なんですけど、静岡は20年以上前から東海地震の危険が指摘されており、学校では避難訓練も盛んに行われていました。
そのせいかどうか、「地震は怖い」と言うプログラミングがしっかり刻み込まれているので、能力が出てきたのか・・・?
またはグラウンディングができている証拠?と、いい方向に捉えたりもしています。
関東に住んでみて思うんですけど、関東の小さい地震の多さに比べたら、静岡は地震が少ないです。
だから地震が来たときに大きくなってしまうのか?
私が覚えている静岡の地震は、小学校4年生のときの震度4、2~3年前の真夜中の震度5、くらいかな。
もう少しはっきり地震の起きそうな場所とかが分れば便利かな。いや~やっぱり分かるのもこわいな。
「地震の気配」が役立たなくてもいいから、グラウンディングはしっかりおろしておこう、と思うのでした。
2009年10月27日
白アリの館
私が昔住んでいた部屋に、友人がつけた名前です。
そう、私は以前白アリの館に住んでいました。いわゆる’霊感’はない私ですが、
ここでは白アリだけでなくはっきりとそう言う存在を感じることがありました。
看護婦となって病院勤務になると、一人暮らしをしたくなりました。
当時は仕事だけでなく恋愛関係でも「修羅場」真っ只中でした。
自分のエネルギーレベルが低下している時って、本当に何もかもがうまく回りません。
本人は良かれと思ってやっていることでも、やること全てが悪いほうへ悪いほうへ向かっていました。
その中での引越しは、悪いことの極めつけ!・・・みたいな感じでしたね。
不動産屋で見つけたのは
「メゾネットタイプ 2F洋間8畳・1F和室6畳 バス・トイレ別 キッチンあり 市内○番町(静岡市内では街中です)家賃43000円」
どうですか?格安で掘り出し物件でしょ?!職場へも自転車で10分位のところです。
しかもそこは同じ家が10軒ほど並んでいる長屋のようなつくりで、部屋といっても一軒借りることになるので、
小さな家を持ったような気分になれました。ただ、築50年くらいでかなり古かったんですけど、内装はきれいでしたし、
「何でもいいから一人暮らししたい」と思っていたので、見てすぐに決め、引っ越したのでした。
さあ、それからこの家で何が起きたか・・・
まず、改装などは済んでいるはずでしたが、配管系のトラブルが多かったです。
水は止めてあるのに、どこからか水漏れの音がする。
不動産屋に連絡すると、やはり床下で水漏れがあるとのことで、工事が2度ほど入りました。
(配管のトラブルが多いことって、よろしくない霊の仕業だという説もありますね)
住んでみてわかったのですが、昼間でも1Fは真っ暗で電気なしでは過ごせないほどです。
2Fは広くて日の光も入って明るいのですが・・・なんとなく落ち着かないんです。
なんか気持ち悪いな、と心のどこかで感じていたんだとは思いますが、
当時の私ですから「こんなに明るいんだから、気持ち悪いはずがない」と、頭で考えて納得していました。
机や本を広げても余裕のある広さです。勉強も楽にできるな、と思っていましたが、
実際は2Fで机に向かうことはほとんどありませんでした。なんで勉強しないんだろう、私?・・・
とにかく2Fにはいたくない感じがずっとしていました。
最初のうちは2Fのほうが広いので2Fに布団を敷いて寝ていましたが、ある夜震度3くらい?と思えるような地震がありました。
揺れはすぐに収まりましたが、地震はとっても苦手な私。
翌朝職場に行って、「昨夜の地震、怖かったですね!」とみんなに言ったのですが、
皆びっくりして「地震?あったの?」という返事です。
揺れてすぐにTVで確認はしなかったので、ニュースにもならないほどの地震だったのかどうかも今となってはわかりません。
だけど、あの揺れ方なら市内の人は感じているはず・・・もしかしたら「ポルターガイスト」のようなものだったのか?
なんだか気持ち悪いということがはっきりしたため、次の日から1Fで寝ることにしました。
(後にその話を知人にしたところ、1Fはいいけど2Fは変なものがいる、とのことで、その知人は2Fの変なものを連れていってくれました)
事の順番は覚えていませんが、こんなこともありました。
ある日、家の電話が鳴りました。
着信の番号が友人の携帯番号だったので電話に出ると、むこうは何も話しません。
しばらくの無言の後、ふっとため息みたいな声を出して切れてしまいました。
おかしいな、と思い、すぐに携帯電話にかけなおすと、
今度は電話に出たので「今、家に電話かけた?」と聞くと「かけていない」というのです。
しかも、私の携帯番号は登録してあるけど、家の番号は登録していないから、
もしかけるなら自分で番号を打たなくてはならない、との事でした。
本人がかけていない、というのだからかけていないんでしょうが、じゃああの電話は一体誰から・・・?
そう、白アリの話ですね。
ある夜お風呂に入ろうと湯船にお湯を張り、時間があるので台所で片付けを始めました。
台所の後ろがお風呂場なので、お風呂場に背を向けて10分くらい経ち、ふと床を見ると、1cm位の大きな黒い羽アリがいました。
やだな、どこから入ったんだろう?と思い、ぱっとお風呂場を見ると・・・
あぁぁぁぁ!!そこはもう別世界ぃぃぃ~~~!!!
風呂場の壁は本来真っ白なんですが、今は真っっ黒になっているんです!!!
なんだ?何が起きたんだ?・・よーく目を凝らしてみると、ナ・ナ・ナント!風呂場一面が「黒くて大きい羽アリ」
つまり、白アリの成虫で埋め尽くされていたんです!!!!!ギャーーーーーーーー!!
たった10分の間に・・・そのときの私の気持ちはご想像にお任せします・・・
とにかく、シャワーを引っつかんで水をかけまくり、殺虫剤をかけまくり、羽アリほとんどを流すことができました。
が!しばらくは台所などに羽アリの残骸があり、そのつど悲鳴を上げながら掃除機をかけまくる日々が続きました。
しかも、白アリの成虫は羽がすぐに落ちるんですよ。よっく見ると羽が1枚落ちてたりして、そのつど悲鳴!掃除!
あ~もう2度とあんな目には会いたくないです・・・
ちなみに、白アリの成虫は殺虫剤などをかけて殺さないほうがいいそうです。
一番いいのは「巣の中の羽アリを全部外へ出す」ことだそうで・・・
つまり、黙って見ているのが一番だと。殺虫剤や水をかけて殺しても、
巣の中から出てくる羽アリは結局全部外へ出ようとするので、生き残ったヤツが後日出てくるそうです。
出てくるのは年に1回のことだそうなので、1度で済まそうと思ったら放っておくのが一番だと。
でもねえ、あんな光景目にしたら放っておくなんてできませーん。
今は家を建てるときに地面に消毒するそうですが、あの建物は古かったので、
建築当時はそう言うことをしていなかったんでしょうね。
不動産屋から派遣されてきた、その白アリ駆除のおじさん。
白アリについてのこれらの講義をひとしきり終えた後
「懐かしいね、この家。僕が子供のときからあってね、昔はお店が並んでいたんだよ。古いからねえ、白アリがいても仕方ないよ」
・・・そ、そ、そうですよねぇ(^_^;)
ダメ押しでもう一つ。
ある日、隣に回覧板をまわしに行くと
「来年の3月から、お宅が町内会の組長の番なんです。多分やってもらうことになります」
といわれました。
え、えっ?!本気ですか?!だって私、一人暮らしだし、ほとんど家にいないのに・・・貴重な休みに町内会の用事なんてやるの?!
ハイアーセルフはすごい。さすがに私の苦手なものを良くぞここまで集めてくれました。
地震(霊の仕業?)、虫、町内会とくれば、もうこんなところにはいられない!よーくわかった!引っ越しましょう!!
しかも、修羅場だった恋愛関係も、私が身を引くことで全て丸く収まる事になりそうです。
小学校からの友達で、高卒以来いつもつるんでいた親友もイギリスに移住することが決まり、引越しの準備で大忙しです。
催眠療法の存在も知り、受けることにしました。
なんとなく自分の周りで色々動き始めているのがわかりました。
新たに部屋探しを始めてまもなく、「新築でいいのがあるよ!」との不動産屋さんの声にひかれ、行って見て即断即決!
今度の即決は前回とは違います。これだ!と言う確信がありました。
町からは離れますが、2Fの角部屋で一日中太陽の光があたります。
窓からは山も見え、とてもいいエネルギーに満ちていました。
実際に引越して見て、前の部屋と大きく違ったのは、友人がとても大勢、頻繁に出入りするようになった事、
しかもみんな「居心地がいい」といって、夜遅くまで入り浸っていました。
(入居前に白アリはいないでしょうね、って聞きましたよ。はぁ?って顔されましたけど。町内会も回覧板だけでOKでした!)
リーディングのセッションで来るお客さんたちも、気持ちよい部屋だと言ってくださる方が多かったです。
前の部屋は、友人はほとんど来ませんでした。何より私が体力なくて、家では寝てばかりいました。
自分のエネルギーの悪さもさることながら、部屋のエネルギーの悪さもまともに受けていたんでしょうね。
新しい部屋では自分の状態が良くなったので、私からもみんなに声をかけていました。
その引っ越しの前後で、とても大きな出来事が重なりました。
引越しの2日前に、かねてから修羅場だった人から本当に「お別れ」を告げられました。
これで修羅場の恋愛関係は全てゼロになりました。
その2日後の午前中、イギリスに移住する友人一家の引越しを手伝い、お別れをしたその足で自分も新居に向かいました。
引越しから2日後、催眠療法のクラスの初日が始まったのでした。
あの白アリ館での経験は2度と繰り返したくありませんが、あの8ヶ月があったからこそ次のすばらしい部屋に出会えたのです。
そして、人生を大きく変えるような出会いが次々起こりました。
当時はわかりませんでしたが、すべてがすごいタイミングで流れていたんですね。
今となってはあの白アリ館はいい笑い話です。
そう、私は以前白アリの館に住んでいました。いわゆる’霊感’はない私ですが、
ここでは白アリだけでなくはっきりとそう言う存在を感じることがありました。
看護婦となって病院勤務になると、一人暮らしをしたくなりました。
当時は仕事だけでなく恋愛関係でも「修羅場」真っ只中でした。
自分のエネルギーレベルが低下している時って、本当に何もかもがうまく回りません。
本人は良かれと思ってやっていることでも、やること全てが悪いほうへ悪いほうへ向かっていました。
その中での引越しは、悪いことの極めつけ!・・・みたいな感じでしたね。
不動産屋で見つけたのは
「メゾネットタイプ 2F洋間8畳・1F和室6畳 バス・トイレ別 キッチンあり 市内○番町(静岡市内では街中です)家賃43000円」
どうですか?格安で掘り出し物件でしょ?!職場へも自転車で10分位のところです。
しかもそこは同じ家が10軒ほど並んでいる長屋のようなつくりで、部屋といっても一軒借りることになるので、
小さな家を持ったような気分になれました。ただ、築50年くらいでかなり古かったんですけど、内装はきれいでしたし、
「何でもいいから一人暮らししたい」と思っていたので、見てすぐに決め、引っ越したのでした。
さあ、それからこの家で何が起きたか・・・
まず、改装などは済んでいるはずでしたが、配管系のトラブルが多かったです。
水は止めてあるのに、どこからか水漏れの音がする。
不動産屋に連絡すると、やはり床下で水漏れがあるとのことで、工事が2度ほど入りました。
(配管のトラブルが多いことって、よろしくない霊の仕業だという説もありますね)
住んでみてわかったのですが、昼間でも1Fは真っ暗で電気なしでは過ごせないほどです。
2Fは広くて日の光も入って明るいのですが・・・なんとなく落ち着かないんです。
なんか気持ち悪いな、と心のどこかで感じていたんだとは思いますが、
当時の私ですから「こんなに明るいんだから、気持ち悪いはずがない」と、頭で考えて納得していました。
机や本を広げても余裕のある広さです。勉強も楽にできるな、と思っていましたが、
実際は2Fで机に向かうことはほとんどありませんでした。なんで勉強しないんだろう、私?・・・
とにかく2Fにはいたくない感じがずっとしていました。
最初のうちは2Fのほうが広いので2Fに布団を敷いて寝ていましたが、ある夜震度3くらい?と思えるような地震がありました。
揺れはすぐに収まりましたが、地震はとっても苦手な私。
翌朝職場に行って、「昨夜の地震、怖かったですね!」とみんなに言ったのですが、
皆びっくりして「地震?あったの?」という返事です。
揺れてすぐにTVで確認はしなかったので、ニュースにもならないほどの地震だったのかどうかも今となってはわかりません。
だけど、あの揺れ方なら市内の人は感じているはず・・・もしかしたら「ポルターガイスト」のようなものだったのか?
なんだか気持ち悪いということがはっきりしたため、次の日から1Fで寝ることにしました。
(後にその話を知人にしたところ、1Fはいいけど2Fは変なものがいる、とのことで、その知人は2Fの変なものを連れていってくれました)
事の順番は覚えていませんが、こんなこともありました。
ある日、家の電話が鳴りました。
着信の番号が友人の携帯番号だったので電話に出ると、むこうは何も話しません。
しばらくの無言の後、ふっとため息みたいな声を出して切れてしまいました。
おかしいな、と思い、すぐに携帯電話にかけなおすと、
今度は電話に出たので「今、家に電話かけた?」と聞くと「かけていない」というのです。
しかも、私の携帯番号は登録してあるけど、家の番号は登録していないから、
もしかけるなら自分で番号を打たなくてはならない、との事でした。
本人がかけていない、というのだからかけていないんでしょうが、じゃああの電話は一体誰から・・・?
そう、白アリの話ですね。
ある夜お風呂に入ろうと湯船にお湯を張り、時間があるので台所で片付けを始めました。
台所の後ろがお風呂場なので、お風呂場に背を向けて10分くらい経ち、ふと床を見ると、1cm位の大きな黒い羽アリがいました。
やだな、どこから入ったんだろう?と思い、ぱっとお風呂場を見ると・・・
あぁぁぁぁ!!そこはもう別世界ぃぃぃ~~~!!!
風呂場の壁は本来真っ白なんですが、今は真っっ黒になっているんです!!!
なんだ?何が起きたんだ?・・よーく目を凝らしてみると、ナ・ナ・ナント!風呂場一面が「黒くて大きい羽アリ」
つまり、白アリの成虫で埋め尽くされていたんです!!!!!ギャーーーーーーーー!!
たった10分の間に・・・そのときの私の気持ちはご想像にお任せします・・・
とにかく、シャワーを引っつかんで水をかけまくり、殺虫剤をかけまくり、羽アリほとんどを流すことができました。
が!しばらくは台所などに羽アリの残骸があり、そのつど悲鳴を上げながら掃除機をかけまくる日々が続きました。
しかも、白アリの成虫は羽がすぐに落ちるんですよ。よっく見ると羽が1枚落ちてたりして、そのつど悲鳴!掃除!
あ~もう2度とあんな目には会いたくないです・・・
ちなみに、白アリの成虫は殺虫剤などをかけて殺さないほうがいいそうです。
一番いいのは「巣の中の羽アリを全部外へ出す」ことだそうで・・・
つまり、黙って見ているのが一番だと。殺虫剤や水をかけて殺しても、
巣の中から出てくる羽アリは結局全部外へ出ようとするので、生き残ったヤツが後日出てくるそうです。
出てくるのは年に1回のことだそうなので、1度で済まそうと思ったら放っておくのが一番だと。
でもねえ、あんな光景目にしたら放っておくなんてできませーん。
今は家を建てるときに地面に消毒するそうですが、あの建物は古かったので、
建築当時はそう言うことをしていなかったんでしょうね。
不動産屋から派遣されてきた、その白アリ駆除のおじさん。
白アリについてのこれらの講義をひとしきり終えた後
「懐かしいね、この家。僕が子供のときからあってね、昔はお店が並んでいたんだよ。古いからねえ、白アリがいても仕方ないよ」
・・・そ、そ、そうですよねぇ(^_^;)
ダメ押しでもう一つ。
ある日、隣に回覧板をまわしに行くと
「来年の3月から、お宅が町内会の組長の番なんです。多分やってもらうことになります」
といわれました。
え、えっ?!本気ですか?!だって私、一人暮らしだし、ほとんど家にいないのに・・・貴重な休みに町内会の用事なんてやるの?!
ハイアーセルフはすごい。さすがに私の苦手なものを良くぞここまで集めてくれました。
地震(霊の仕業?)、虫、町内会とくれば、もうこんなところにはいられない!よーくわかった!引っ越しましょう!!
しかも、修羅場だった恋愛関係も、私が身を引くことで全て丸く収まる事になりそうです。
小学校からの友達で、高卒以来いつもつるんでいた親友もイギリスに移住することが決まり、引越しの準備で大忙しです。
催眠療法の存在も知り、受けることにしました。
なんとなく自分の周りで色々動き始めているのがわかりました。
新たに部屋探しを始めてまもなく、「新築でいいのがあるよ!」との不動産屋さんの声にひかれ、行って見て即断即決!
今度の即決は前回とは違います。これだ!と言う確信がありました。
町からは離れますが、2Fの角部屋で一日中太陽の光があたります。
窓からは山も見え、とてもいいエネルギーに満ちていました。
実際に引越して見て、前の部屋と大きく違ったのは、友人がとても大勢、頻繁に出入りするようになった事、
しかもみんな「居心地がいい」といって、夜遅くまで入り浸っていました。
(入居前に白アリはいないでしょうね、って聞きましたよ。はぁ?って顔されましたけど。町内会も回覧板だけでOKでした!)
リーディングのセッションで来るお客さんたちも、気持ちよい部屋だと言ってくださる方が多かったです。
前の部屋は、友人はほとんど来ませんでした。何より私が体力なくて、家では寝てばかりいました。
自分のエネルギーの悪さもさることながら、部屋のエネルギーの悪さもまともに受けていたんでしょうね。
新しい部屋では自分の状態が良くなったので、私からもみんなに声をかけていました。
その引っ越しの前後で、とても大きな出来事が重なりました。
引越しの2日前に、かねてから修羅場だった人から本当に「お別れ」を告げられました。
これで修羅場の恋愛関係は全てゼロになりました。
その2日後の午前中、イギリスに移住する友人一家の引越しを手伝い、お別れをしたその足で自分も新居に向かいました。
引越しから2日後、催眠療法のクラスの初日が始まったのでした。
あの白アリ館での経験は2度と繰り返したくありませんが、あの8ヶ月があったからこそ次のすばらしい部屋に出会えたのです。
そして、人生を大きく変えるような出会いが次々起こりました。
当時はわかりませんでしたが、すべてがすごいタイミングで流れていたんですね。
今となってはあの白アリ館はいい笑い話です。
2009年10月27日
がんばれ
子供のころから当たり前のように言っていましたこの言葉。
でも、がんばれって励ますことが逆に相手の負担になることもあるということに気づいたのは看護学生のときでした。
「看護婦が患者さんに向かって、がんばれと励ましてはいけない。
患者さんはもう十分がんばっているんだから、かえって追い詰めてしまうことになる」
という主旨の講義がありました。
そのとき初めて「そういう考えもあるんだ」ということに気づきました。
だって、昔から困っている友人や、何かの相談をされた時には「がんばって。私も応援するから!」「がんばれ、ファイト」
など当たり前のように言ってきませんでしたか?
じゃあ逆に、がんばれって言われて本当に励まされたことってあるのかなあ?
うーん、と記憶をたどってみるけど・・・どうだろう。
試験前に家を出るとき「がんばってこいよ」、友人同士で「がんばろう!」などといって励ましあうことは、
人によっては「よーし」って思うかもしれないけど、私なんかはかえって力んでしまうというか、余分な力が入りすぎてしまいます。
すると、本当は楽にできるかもしれないのに、自分で大変にしていたりして。
がんばれって言うことのすべてが相手にプレッシャーを与えるとは限らないとも思うけど、言い方にもよるんでしょうか。
病棟看護婦として働いていたころ、血液疾患の患者さんで父親と良い関係を保てていない方がいました。
父親という人はほとんど病院に見舞いには来ていなかったようです。
患者さんは、幾度もきつい抗癌剤の治療を行い、副作用に耐え、入退院を繰り返していました。
入院の合間に自宅にいるときは、父親から「もっとがんばれ、がんばれ。がんばらないから病気が治らないんだ」と
いうようなことを言われていたようです。
その話を聞いたとき、背筋が寒くなりました。「あれ以上、どうやってがんばれって言うんだろう?」
もちろん、親としての気持ちは察するに余りある、というところですが・・・
催眠療法のクラスで幼児期退行などをしていたころは、父から勉強を「がんばれ、がんばれもっとやれ、もっとやれ」
と叱咤され続けている場面があり、涙が止まりませんでした。
私の心は「もうできないよ、これ以上できないよ」と悲鳴を上げていたことが思い出されます。
看護婦時代も、すべてに行き詰まって仕事をやめようか悩んでいるときなども、
がんばれっていう言葉ほどやる気をそぐものはなかったな。「これ以上どうしろって言うの!」って。
日本の経験した戦争や、近年の大きな地震などでは、被害を受けた人たちが「みんなでがんばろう!」と一生懸命になり、
その結果、経済成長や復興を実現してきました。
私も、病棟の夜勤であまりの忙しさ、大変さに一人で押しつぶされそうになっているとき、
すれ違った仲間の看護婦と目があったり、一言二言「がんばろう」みたいな声をかけあっただけで安心し、
何とかこなしていけた経験は多くあります。
同じ境遇の仲間同士で「一緒にがんばろう」って言うのは本当に励まされるものなんでしょうか。
「がんばれ」より「がんばろう」ならいいのかな。
以前にも触れましたが、クレアボヤンススクールに入って一番最初に先生から
「がんばってやらないでください」と言われました。
「がんばらなくてもオーラは見えるようになる。むしろがんばらないほうがエネルギーは簡単に扱えるようになる」。
「がんばっても中々うまくいかないけど、がんばらないと今よりもっと状況が悪くなるかもしれない」のなら、
今がんばってやってることは自分の行く道ではないかもしれない。
一つの指標としては「それやってて楽しい?」と自分に聞いてみるとよくわかるかもしれません。
でも、日本には昔から「楽しむことは良くないこと」という根強い道徳観念があるので、
楽しくないと言う理由でそれをやめる理由には中々ならないかもしれませんが。
でも、何しろ楽しいかどうかは重要ですよ。
看護学校での講義から、私は患者さんだけではなく、誰に対しても「がんばれ」を言わないように気をつけるようになりましたが、
つい、言いそうになることがあります。
そんな時は結構無責任にこの言葉を使おうとしていることに気づきます。
言う側にも理由があって言っているのかもしれません。
誰かを励ますことで自分も奮い立たせる必要があるとか。
その他、がんばれの言葉の裏にはこんなメッセージを送っていることもあるかもしれません。
「私はあの人にがんばれって言ったのに失敗したのはがんばりが足りなかったからだ。
私の言うことを聞いてもっとがんばっていれば失敗はしなかっただろう。
(私の言うことは正しい。私は良い人間である)」
その人の言葉と、実際にその人が送っているエネルギーには大きな隔たりがあったり、
異なるメッセージだったりすることはよくあります。
でも、がんばれって励ますことが逆に相手の負担になることもあるということに気づいたのは看護学生のときでした。
「看護婦が患者さんに向かって、がんばれと励ましてはいけない。
患者さんはもう十分がんばっているんだから、かえって追い詰めてしまうことになる」
という主旨の講義がありました。
そのとき初めて「そういう考えもあるんだ」ということに気づきました。
だって、昔から困っている友人や、何かの相談をされた時には「がんばって。私も応援するから!」「がんばれ、ファイト」
など当たり前のように言ってきませんでしたか?
じゃあ逆に、がんばれって言われて本当に励まされたことってあるのかなあ?
うーん、と記憶をたどってみるけど・・・どうだろう。
試験前に家を出るとき「がんばってこいよ」、友人同士で「がんばろう!」などといって励ましあうことは、
人によっては「よーし」って思うかもしれないけど、私なんかはかえって力んでしまうというか、余分な力が入りすぎてしまいます。
すると、本当は楽にできるかもしれないのに、自分で大変にしていたりして。
がんばれって言うことのすべてが相手にプレッシャーを与えるとは限らないとも思うけど、言い方にもよるんでしょうか。
病棟看護婦として働いていたころ、血液疾患の患者さんで父親と良い関係を保てていない方がいました。
父親という人はほとんど病院に見舞いには来ていなかったようです。
患者さんは、幾度もきつい抗癌剤の治療を行い、副作用に耐え、入退院を繰り返していました。
入院の合間に自宅にいるときは、父親から「もっとがんばれ、がんばれ。がんばらないから病気が治らないんだ」と
いうようなことを言われていたようです。
その話を聞いたとき、背筋が寒くなりました。「あれ以上、どうやってがんばれって言うんだろう?」
もちろん、親としての気持ちは察するに余りある、というところですが・・・
催眠療法のクラスで幼児期退行などをしていたころは、父から勉強を「がんばれ、がんばれもっとやれ、もっとやれ」
と叱咤され続けている場面があり、涙が止まりませんでした。
私の心は「もうできないよ、これ以上できないよ」と悲鳴を上げていたことが思い出されます。
看護婦時代も、すべてに行き詰まって仕事をやめようか悩んでいるときなども、
がんばれっていう言葉ほどやる気をそぐものはなかったな。「これ以上どうしろって言うの!」って。
日本の経験した戦争や、近年の大きな地震などでは、被害を受けた人たちが「みんなでがんばろう!」と一生懸命になり、
その結果、経済成長や復興を実現してきました。
私も、病棟の夜勤であまりの忙しさ、大変さに一人で押しつぶされそうになっているとき、
すれ違った仲間の看護婦と目があったり、一言二言「がんばろう」みたいな声をかけあっただけで安心し、
何とかこなしていけた経験は多くあります。
同じ境遇の仲間同士で「一緒にがんばろう」って言うのは本当に励まされるものなんでしょうか。
「がんばれ」より「がんばろう」ならいいのかな。
以前にも触れましたが、クレアボヤンススクールに入って一番最初に先生から
「がんばってやらないでください」と言われました。
「がんばらなくてもオーラは見えるようになる。むしろがんばらないほうがエネルギーは簡単に扱えるようになる」。
「がんばっても中々うまくいかないけど、がんばらないと今よりもっと状況が悪くなるかもしれない」のなら、
今がんばってやってることは自分の行く道ではないかもしれない。
一つの指標としては「それやってて楽しい?」と自分に聞いてみるとよくわかるかもしれません。
でも、日本には昔から「楽しむことは良くないこと」という根強い道徳観念があるので、
楽しくないと言う理由でそれをやめる理由には中々ならないかもしれませんが。
でも、何しろ楽しいかどうかは重要ですよ。
看護学校での講義から、私は患者さんだけではなく、誰に対しても「がんばれ」を言わないように気をつけるようになりましたが、
つい、言いそうになることがあります。
そんな時は結構無責任にこの言葉を使おうとしていることに気づきます。
言う側にも理由があって言っているのかもしれません。
誰かを励ますことで自分も奮い立たせる必要があるとか。
その他、がんばれの言葉の裏にはこんなメッセージを送っていることもあるかもしれません。
「私はあの人にがんばれって言ったのに失敗したのはがんばりが足りなかったからだ。
私の言うことを聞いてもっとがんばっていれば失敗はしなかっただろう。
(私の言うことは正しい。私は良い人間である)」
その人の言葉と、実際にその人が送っているエネルギーには大きな隔たりがあったり、
異なるメッセージだったりすることはよくあります。
2009年10月27日
事故の話
私のひとりごとの「私が看護婦になったわけ」にもちらっと紹介していますが、原付で事故にあったときの話を詳しく。
これはもう5年前の出来事になりますが、私が目に見えないものの存在をはっきりと確信するきっかけになったものです。
何を見たのか忘れましたが,写経ならぬ写仏というものがあることを知りました。
写仏とは、仏様の画の上に紙を置いて写し描くことです。
自分で描けたらいいなと思い、やってみることにしました。
細かい絵なので時間はかかりますが、出来上がりは自分でも感動するほど荘厳な感じがします。
その人の生まれ本尊などを描いては友人たちにプレゼントもしていました。
ちょうどそのころ海外に移住する友人がいたので、少しでも日本らしいものを贈ろうと思い、何枚かプレゼントすることにしました。
(今思うと、宗教の違いなどもあったのでしょうが、そんなことも省みず・・・困ったプレゼントだったかもしれませんね。)
ある日出来上がった数枚の写仏画をコピーするため、原付のポケット(足の前・内側にある小さな荷物入れ)に入れ、出かけました。
写仏画は半紙よりも薄い美濃紙というものに描いてあり、A3サイズより少し大きいため、
破れないように普通紙にコピーしようと思ったのです。
穏やかに晴れたある春の日、いつもの道を走っていました。
大きな交差点で信号が変わったので走り出すと、隣の4tトラック(保冷車)が急に左折し、
交差点の角のガソリンスタンドに入ろうとしました。
私はちょうどその時トラックの真横にいたため、運転手の死角に入ってしまいました。
そう、悪いお手本のように、完全に左折に巻き込まれる形になってしまったのです!
「やばいっ」と思った時には、原付のタイヤがトラックにぶつかり、私は原付もろとも倒されてしまいました。
ガソリンスタンドの店員が気づき、大慌てでトラックを制止しようとしているのが見えました。
よく聞く話ですが、本当に事故のときってスローモーションになるんですねえぇ。
以下、これは1秒くらいの間の出来事ですが:
「あ、転んだ。この後はトラックに轢かれる?いや、わざわざ轢かれてやる事もない、立てばいいんだ。ホラ」と、
その場にぱっと立ち上がりました。
運命というのか何と言うのか、幸いにも着衣のどの部分も原付に引っかかっていなかったので、よかったのです。
そのまま原付がトラックの真ん中に引きずり込まれていくのを、ぼーぜんと見ていたのでした。
トラックのスピードが出ていなかったのも良かったのですが、運転手は夜勤明けでボーっとしていたためか、
店員の制止にもなかなか気づかなかったようです。
私も信号待ちの時点で、トラックの真横に入らないようにしなければいけませんでした。
とにかく私は、服にかすり傷すらもつかなかったくらいでした!
原付は、というと、もちろん使い物にはなりません。そのまま廃車になってしまいました。
そして、原付のポケットに入れてあった写仏画はというと、これもまったくの無傷だったのです!
あんなに薄い紙を、筒状に巻いただけだったのに、破れも汚れもしませんでした。
いや~さすがにあの時は紙の筒を握って感謝しましたよ。
そして「守られた」と強く確信しました。
それ以来、あのときの気持ちを持ちつつ、ずっと写仏を続けています、となれば美しく締めくくられそうですが・・・
当時看護学生だった私は、勉強の忙しさに埋もれていき、写仏をする暇はなくなってしまいました。
でも、この1件では目に見えないものの力を体感し、その後の私の人生に影響を与えることになりました。
神や仏などの目に見えないものの存在を「信じる・信じない」ではなく、「存在している」ことがわかったのです。
これは頭で理解することや、理屈を並べてわかるというものではないように思います。
なんだろう。当時の気持ちで言えば、「心でわかった」というのが一番近いのかな・・・
ただ単純に「命を助けてもらったからありがたい」だけではないのです。
もちろん、死ななかったからこそ今があるという点では感謝なのですが、
目に見えないものの存在は、人間の物理面の都合のよさだけをかなえるものではないと思います。
今我々が目にしている物理面だけが「生」だという認識はないはずだからです。
時には怪我、病気などを通してでも、その人が肉体にいるうちに学ぶ必要があるものを持ってくることもあるのでしょう。
それを神というのか、仏というのか、天使というのか、呼び方はわかりませんけど。
このときの私には「死ぬほどびっくりさせて、目に見えないものの存在を知らせる」為にハイアーセルフが導いたのか・・・
でもやっぱり、痛いのや苦しいのはいやですねえー。皆さんも安全運転で。
これはもう5年前の出来事になりますが、私が目に見えないものの存在をはっきりと確信するきっかけになったものです。
何を見たのか忘れましたが,写経ならぬ写仏というものがあることを知りました。
写仏とは、仏様の画の上に紙を置いて写し描くことです。
自分で描けたらいいなと思い、やってみることにしました。
細かい絵なので時間はかかりますが、出来上がりは自分でも感動するほど荘厳な感じがします。
その人の生まれ本尊などを描いては友人たちにプレゼントもしていました。
ちょうどそのころ海外に移住する友人がいたので、少しでも日本らしいものを贈ろうと思い、何枚かプレゼントすることにしました。
(今思うと、宗教の違いなどもあったのでしょうが、そんなことも省みず・・・困ったプレゼントだったかもしれませんね。)
ある日出来上がった数枚の写仏画をコピーするため、原付のポケット(足の前・内側にある小さな荷物入れ)に入れ、出かけました。
写仏画は半紙よりも薄い美濃紙というものに描いてあり、A3サイズより少し大きいため、
破れないように普通紙にコピーしようと思ったのです。
穏やかに晴れたある春の日、いつもの道を走っていました。
大きな交差点で信号が変わったので走り出すと、隣の4tトラック(保冷車)が急に左折し、
交差点の角のガソリンスタンドに入ろうとしました。
私はちょうどその時トラックの真横にいたため、運転手の死角に入ってしまいました。
そう、悪いお手本のように、完全に左折に巻き込まれる形になってしまったのです!
「やばいっ」と思った時には、原付のタイヤがトラックにぶつかり、私は原付もろとも倒されてしまいました。
ガソリンスタンドの店員が気づき、大慌てでトラックを制止しようとしているのが見えました。
よく聞く話ですが、本当に事故のときってスローモーションになるんですねえぇ。
以下、これは1秒くらいの間の出来事ですが:
「あ、転んだ。この後はトラックに轢かれる?いや、わざわざ轢かれてやる事もない、立てばいいんだ。ホラ」と、
その場にぱっと立ち上がりました。
運命というのか何と言うのか、幸いにも着衣のどの部分も原付に引っかかっていなかったので、よかったのです。
そのまま原付がトラックの真ん中に引きずり込まれていくのを、ぼーぜんと見ていたのでした。
トラックのスピードが出ていなかったのも良かったのですが、運転手は夜勤明けでボーっとしていたためか、
店員の制止にもなかなか気づかなかったようです。
私も信号待ちの時点で、トラックの真横に入らないようにしなければいけませんでした。
とにかく私は、服にかすり傷すらもつかなかったくらいでした!
原付は、というと、もちろん使い物にはなりません。そのまま廃車になってしまいました。
そして、原付のポケットに入れてあった写仏画はというと、これもまったくの無傷だったのです!
あんなに薄い紙を、筒状に巻いただけだったのに、破れも汚れもしませんでした。
いや~さすがにあの時は紙の筒を握って感謝しましたよ。
そして「守られた」と強く確信しました。
それ以来、あのときの気持ちを持ちつつ、ずっと写仏を続けています、となれば美しく締めくくられそうですが・・・
当時看護学生だった私は、勉強の忙しさに埋もれていき、写仏をする暇はなくなってしまいました。
でも、この1件では目に見えないものの力を体感し、その後の私の人生に影響を与えることになりました。
神や仏などの目に見えないものの存在を「信じる・信じない」ではなく、「存在している」ことがわかったのです。
これは頭で理解することや、理屈を並べてわかるというものではないように思います。
なんだろう。当時の気持ちで言えば、「心でわかった」というのが一番近いのかな・・・
ただ単純に「命を助けてもらったからありがたい」だけではないのです。
もちろん、死ななかったからこそ今があるという点では感謝なのですが、
目に見えないものの存在は、人間の物理面の都合のよさだけをかなえるものではないと思います。
今我々が目にしている物理面だけが「生」だという認識はないはずだからです。
時には怪我、病気などを通してでも、その人が肉体にいるうちに学ぶ必要があるものを持ってくることもあるのでしょう。
それを神というのか、仏というのか、天使というのか、呼び方はわかりませんけど。
このときの私には「死ぬほどびっくりさせて、目に見えないものの存在を知らせる」為にハイアーセルフが導いたのか・・・
でもやっぱり、痛いのや苦しいのはいやですねえー。皆さんも安全運転で。
2009年10月27日
気にしない
「気にしないほうがいいんじゃない?」って言葉、よく使うけど・・・
気にする人にとっては、気にしないでいることってどうしたらいいかわからないんですよねー。
私は以前、小さな事、取るに足りない失敗、過ぎた事をクヨクヨ悩んだり、
誰かの言った一言をずぅ~っと気にしている事が多かったです。
そんな時「気にしなければいいんじゃない?」と人から言われると、
「気がつく前から気にしちゃってるのに、どうやって気にしないようにするのか教えてよ」ってよく思ってました。
この問いに対する返答としては、「他のことを考える」「楽しい事をして気を紛らわす」などが多いかな。
だけど、これでは真の解決方法にはなりません。どちらも、気にしてしまう根本の原因を覆い隠しているだけなんですから。
時間が経ってそのことを忘れたとしても覆いが厚くなるだけで、再び同じ状況が起こればあっと言う間に
「気にする自分」に戻ってしまいます。
何かをずっと気にしている時って、他のことも身をいれて考えられないし、楽しい事もなくなってしまいます。
気にすることが多い人って、「気にする」ことで安心している事が多いみたいです。
気にしている自分を見て、「こんなに気にしているからいいだろう」とか。
相手に悪い事をした、と悔やんでいる時などは「こんなに悔やんで気にしていれば許されるだろう」など。
もっとエスカレートすると「気にすることで病気になってから相手に会えば、そこまで思っていたのか、と振り向いてくれるかな」
なーんてぎりぎりの選択もあるかな?
「気にすること」が自分のアイデンティティを確立するための手段になっていると、抜け出すのは簡単ではないようですね。
かつての私で言えば、
友人関係の悪化を気に病んで食欲がなくなった。そのため、やせて体力がなくなり「最近元気ないね」と
周りの人から言われるようになった。
これなんか、気にすることで自分を表現しようとしているいい例だと思うんですが。
その時は自分のことで精一杯でしたが、「私、気にしているの。かわいそうな私に振り向いてくれないかしら」って
その友人に深刻なエネルギー送っていたんだろうなあ。
また、他の友人達にも「あの事を気にしているんだ。友紀ってそういうところあるからね」などと言ってもらうことで、
いつもの自分像を作ろうとしていたのかもしれません。
こんなふうに、自分の失敗を前向きに変化するきっかけにせず、自分を傷めつけることを選んでしまうのはつまらないことですね。
そんなに思いつめてしまう自分を変えるにはどうしたらいいんでしょう?
私の場合、些細な事を気にしてしまう自分が嫌で、そんな自分を変えたかった事もあり、エネルギーワークを学びました。
そして、エネルギーワークを学ぶ事で自己評価が上がり(自分を好きになれた、と言うこと)、
その結果「気がついたら、色々気にすることが少なくなっていた」のです。
「気がついたら気にしていた」私がですよ。
今でも、気にしてしまうことはあります。
そういう時は『爆破』して、気にしていたことを片っ端からなくすようにしています。
(注:『爆破』とは、クリアサイトのスキルです。)
(気になる出来事や感情に宿るエネルギーをあるべきところに戻す事を言い、ヒーリングの要素でもあります。)
(詳しくは レバナ・シェル・ブドラ著「今すぐに人生を変える簡単な六つの方法」求龍堂 を参照してください。)
(本屋さんでは売っていませんが、リンクしているJMAのHPから買う事が出来ます。)
気にすることが少なくなると、自分が本当にやりたいことに対して100%のエネルギーで臨む事が出来ます。
つまり、本来注がなくてもいい所にエネルギ―を送る事がなくなるので、今まで無駄遣いしていたエネルギーが自分に戻ってくるのです。
すると、昔は楽しめなかった事でも楽しめるようになったり、楽に成功することが多くなっていきます。
気にする人にとっては、気にしないでいることってどうしたらいいかわからないんですよねー。
私は以前、小さな事、取るに足りない失敗、過ぎた事をクヨクヨ悩んだり、
誰かの言った一言をずぅ~っと気にしている事が多かったです。
そんな時「気にしなければいいんじゃない?」と人から言われると、
「気がつく前から気にしちゃってるのに、どうやって気にしないようにするのか教えてよ」ってよく思ってました。
この問いに対する返答としては、「他のことを考える」「楽しい事をして気を紛らわす」などが多いかな。
だけど、これでは真の解決方法にはなりません。どちらも、気にしてしまう根本の原因を覆い隠しているだけなんですから。
時間が経ってそのことを忘れたとしても覆いが厚くなるだけで、再び同じ状況が起こればあっと言う間に
「気にする自分」に戻ってしまいます。
何かをずっと気にしている時って、他のことも身をいれて考えられないし、楽しい事もなくなってしまいます。
気にすることが多い人って、「気にする」ことで安心している事が多いみたいです。
気にしている自分を見て、「こんなに気にしているからいいだろう」とか。
相手に悪い事をした、と悔やんでいる時などは「こんなに悔やんで気にしていれば許されるだろう」など。
もっとエスカレートすると「気にすることで病気になってから相手に会えば、そこまで思っていたのか、と振り向いてくれるかな」
なーんてぎりぎりの選択もあるかな?
「気にすること」が自分のアイデンティティを確立するための手段になっていると、抜け出すのは簡単ではないようですね。
かつての私で言えば、
友人関係の悪化を気に病んで食欲がなくなった。そのため、やせて体力がなくなり「最近元気ないね」と
周りの人から言われるようになった。
これなんか、気にすることで自分を表現しようとしているいい例だと思うんですが。
その時は自分のことで精一杯でしたが、「私、気にしているの。かわいそうな私に振り向いてくれないかしら」って
その友人に深刻なエネルギー送っていたんだろうなあ。
また、他の友人達にも「あの事を気にしているんだ。友紀ってそういうところあるからね」などと言ってもらうことで、
いつもの自分像を作ろうとしていたのかもしれません。
こんなふうに、自分の失敗を前向きに変化するきっかけにせず、自分を傷めつけることを選んでしまうのはつまらないことですね。
そんなに思いつめてしまう自分を変えるにはどうしたらいいんでしょう?
私の場合、些細な事を気にしてしまう自分が嫌で、そんな自分を変えたかった事もあり、エネルギーワークを学びました。
そして、エネルギーワークを学ぶ事で自己評価が上がり(自分を好きになれた、と言うこと)、
その結果「気がついたら、色々気にすることが少なくなっていた」のです。
「気がついたら気にしていた」私がですよ。
今でも、気にしてしまうことはあります。
そういう時は『爆破』して、気にしていたことを片っ端からなくすようにしています。
(注:『爆破』とは、クリアサイトのスキルです。)
(気になる出来事や感情に宿るエネルギーをあるべきところに戻す事を言い、ヒーリングの要素でもあります。)
(詳しくは レバナ・シェル・ブドラ著「今すぐに人生を変える簡単な六つの方法」求龍堂 を参照してください。)
(本屋さんでは売っていませんが、リンクしているJMAのHPから買う事が出来ます。)
気にすることが少なくなると、自分が本当にやりたいことに対して100%のエネルギーで臨む事が出来ます。
つまり、本来注がなくてもいい所にエネルギ―を送る事がなくなるので、今まで無駄遣いしていたエネルギーが自分に戻ってくるのです。
すると、昔は楽しめなかった事でも楽しめるようになったり、楽に成功することが多くなっていきます。
2009年10月27日
深刻と真剣
この二つ言葉の意味、ほとんど同じように思いませんか?
でも実は、結構違うんだということをしみじみ感じます。
どう違うのかと言うと・・・
「深刻」について。
『深刻に考える』っていうと、頭抱えて硬い表情で、うーん・・・と言うようなイメージが浮かびます。
すごく大変そうで、近寄って言葉をかける事も出来なそうな感じですよね。
じゃあ、「真剣」は?
『真剣に考える』と言うのは、深刻よりもトーンが軽いような感じがしませんか?
そして、真剣に考えている間でも笑っている事は出来るような気がしませんか?
真剣に楽しむ、って言葉はあっても、深刻に楽しむって言葉は聞かないですよね・・・
「真剣にクッキーを作る」→「深刻にクッキーを作る」
「真剣に愛する」 →「深刻に愛する」
「真剣に遊ぶ」 →「深刻に遊ぶ」
やっぱり深刻になっちゃうと「やめてくれ~」って感じですね。
深刻に作ったクッキーって、あんまり食べたくないし、深刻に愛されたら重そうだし、
深刻に遊んでもらっても、楽しくなさそうだしね。
じゃ、ためしに『楽しく』をつけてみたら・・・
「楽しく真剣にクッキーを作る」→「楽しく深刻にクッキーを作る」
「楽しく真剣に愛する」 →「楽しく深刻に愛する」
「楽しく真剣に遊ぶ」 →「楽しく深刻に遊ぶ」
真剣になにかをやっている時は、楽しく・軽くできそうですね。
だけど、深刻ってついてると、楽しくなにかをするってありえないなぁ。
私の育った環境や、見ていたTV番組から送られてくるメッセージは、「深刻=良い事」だった様に思います。
汗と涙をながして、深刻な状況から努力して這い上がるのって、美しく描かれる事が多いみたい。
(これは、日本独特の価値観や道徳観念が強く影響していると思いますが)
以前の私は、親や先生から誉めてもらう(認めてもらう)ためには、まじめに努力して、
苦しい所から這い上がる姿を見せていればいいのだと思い、無意識にそうやって行動していました。
いつも心の底には「親(先生など)から認めてもらいたい」意識があって、態度では反抗しつつも、
心の中ではいつも、自分以外の誰かから認めてもらいたがっていました。
私は何度も受験や資格試験を受けて、やっと分かりましたけど、
自分で自分の事を認める事をせず、誰かに認めてもらおうとしているだけでは、
どんなに世間で成功といわれている状況を重ねても満足感は得られませんね。
もっと上へ、もっと上へと追いたてられ、疲れてしまうだけです。
私の例で言うと、
高校を卒業してデパートに勤務し、2年後にコンピューターの勉強をしようと思い立ち、専門学校へ入学しました。
合格した時は母と大喜びしましたが、今思えば、心のそこからコンピューターの勉強をしたかったわけではなく、
「将来の事を考えて資格をとるため」「自分のやりたいことかもしれないから、とりあえず必死で勉強したい」
という理由からの進学だったと思います。
初めのうちは新しい勉強や生活が新鮮で楽しかったのですが、情報処理の国家資格をとるための2年間の勉強は、
徐々に辛く苦しいものになっていきました。(楽しい事もありましたけどね)
半年に1回の割合でその試験はあったのですが、私は3(4?)回目でやっと受かりました。
ここでは常に先生から「国試に受かるには」「いい所へ就職するためには」等の教育をされましたが、
私は勉強を楽しむどころか「先生に認めてもらうには」「いい成績をとって親に認めてもらわなくては」
という思いだけだった気がします。
「これじゃあ苦しくて当然だ!」というのが、今はわかるけど、当時は「他に道はない!」
という勢いで深刻に勉強してたなー。
まあ、この経験が無駄だったとは思っていませんが、「トホホ」な気分なんですよねー。
だって、その国家資格はすでに名前も変わってしまうほど昔のものだし。ウインドウズが発売される前の資格ですよ!
(しかもフロッピーは直径20cm位のサイズだった)
その後は仕事も私生活もコンピューターからは離れていたから、昨今の進化には乗り遅れ・・・
あの苦労は一体何だったの?(うっ。涙)
今となっては履歴書にも書けません。
クレアボヤンススクールに入って、一番初めに言われたのは、
「深刻にやらない事、まじめにやらない事」でした。
いきなり驚いてしまいました。初めから今までの価値観を覆されたんですから。
おちゃらけてやれとか、不真面目・いいかげんにやるのがいい、という訳ではない。
深刻にやらなくても出来る。真剣なのと深刻になるのは違うと。
あぁ、なるほどねー・・・
ところが、聞くとやるとでは大違い。深刻に(まじめに)やるのが通常モードになっている私は、
気がつくと深刻に(まじめに)なってしまいます。
でも、最初はなんだか難しかったけど、楽しければ笑いながらでも自然と「真剣に」やっているんです。
要は自分が楽しいのかどうか。
ヒーリングやリーディングに来る方は、「深刻な」悩みを抱えている事がよくあります。
その問題となるエネルギーを見ると、重かったり暗かったり、
体に悪影響を及ぼしている事も見うけられます。
逆に、本人は深刻に訴えていても、エネルギーは軽く明るいこともあります。
そんな時は、それを伝えるだけで、ぱっと視界が開けることもあります。
どっちにしても深刻なエネルギーって、ない方がずっとスムーズに物事が運びますね。
最近は、深刻になっている時が自分でわかります。
そんな時は「おっといけねえ」と自分で気付くだけで、それ以上はまらずに抜け出す事が出来るか、
抜け出す様に行動する事が出来ます。
以前から私を一番深刻にさせていた状況が再び起きても、「なあぁんちゃって」で終わる様になってます。
「なあぁんちゃって」で終わると、楽ですよ・・・
私、根がまじめっこだから(ほんと)、こう思えるようになるには時間もかかってますけど、
(調子が悪いと、たまにはまってる事もありますけど)
あんなに深刻な状況にはまっている事の多かった私が、「なんちゃって」で済む様になってるって事は、
その気になって変わる事を選択すれば、誰でもそうなれるってことだと思います。
「どんな自分でありたいのか」を自分で選ぶ。それだけです。
でも実は、結構違うんだということをしみじみ感じます。
どう違うのかと言うと・・・
「深刻」について。
『深刻に考える』っていうと、頭抱えて硬い表情で、うーん・・・と言うようなイメージが浮かびます。
すごく大変そうで、近寄って言葉をかける事も出来なそうな感じですよね。
じゃあ、「真剣」は?
『真剣に考える』と言うのは、深刻よりもトーンが軽いような感じがしませんか?
そして、真剣に考えている間でも笑っている事は出来るような気がしませんか?
真剣に楽しむ、って言葉はあっても、深刻に楽しむって言葉は聞かないですよね・・・
「真剣にクッキーを作る」→「深刻にクッキーを作る」
「真剣に愛する」 →「深刻に愛する」
「真剣に遊ぶ」 →「深刻に遊ぶ」
やっぱり深刻になっちゃうと「やめてくれ~」って感じですね。
深刻に作ったクッキーって、あんまり食べたくないし、深刻に愛されたら重そうだし、
深刻に遊んでもらっても、楽しくなさそうだしね。
じゃ、ためしに『楽しく』をつけてみたら・・・
「楽しく真剣にクッキーを作る」→「楽しく深刻にクッキーを作る」
「楽しく真剣に愛する」 →「楽しく深刻に愛する」
「楽しく真剣に遊ぶ」 →「楽しく深刻に遊ぶ」
真剣になにかをやっている時は、楽しく・軽くできそうですね。
だけど、深刻ってついてると、楽しくなにかをするってありえないなぁ。
私の育った環境や、見ていたTV番組から送られてくるメッセージは、「深刻=良い事」だった様に思います。
汗と涙をながして、深刻な状況から努力して這い上がるのって、美しく描かれる事が多いみたい。
(これは、日本独特の価値観や道徳観念が強く影響していると思いますが)
以前の私は、親や先生から誉めてもらう(認めてもらう)ためには、まじめに努力して、
苦しい所から這い上がる姿を見せていればいいのだと思い、無意識にそうやって行動していました。
いつも心の底には「親(先生など)から認めてもらいたい」意識があって、態度では反抗しつつも、
心の中ではいつも、自分以外の誰かから認めてもらいたがっていました。
私は何度も受験や資格試験を受けて、やっと分かりましたけど、
自分で自分の事を認める事をせず、誰かに認めてもらおうとしているだけでは、
どんなに世間で成功といわれている状況を重ねても満足感は得られませんね。
もっと上へ、もっと上へと追いたてられ、疲れてしまうだけです。
私の例で言うと、
高校を卒業してデパートに勤務し、2年後にコンピューターの勉強をしようと思い立ち、専門学校へ入学しました。
合格した時は母と大喜びしましたが、今思えば、心のそこからコンピューターの勉強をしたかったわけではなく、
「将来の事を考えて資格をとるため」「自分のやりたいことかもしれないから、とりあえず必死で勉強したい」
という理由からの進学だったと思います。
初めのうちは新しい勉強や生活が新鮮で楽しかったのですが、情報処理の国家資格をとるための2年間の勉強は、
徐々に辛く苦しいものになっていきました。(楽しい事もありましたけどね)
半年に1回の割合でその試験はあったのですが、私は3(4?)回目でやっと受かりました。
ここでは常に先生から「国試に受かるには」「いい所へ就職するためには」等の教育をされましたが、
私は勉強を楽しむどころか「先生に認めてもらうには」「いい成績をとって親に認めてもらわなくては」
という思いだけだった気がします。
「これじゃあ苦しくて当然だ!」というのが、今はわかるけど、当時は「他に道はない!」
という勢いで深刻に勉強してたなー。
まあ、この経験が無駄だったとは思っていませんが、「トホホ」な気分なんですよねー。
だって、その国家資格はすでに名前も変わってしまうほど昔のものだし。ウインドウズが発売される前の資格ですよ!
(しかもフロッピーは直径20cm位のサイズだった)
その後は仕事も私生活もコンピューターからは離れていたから、昨今の進化には乗り遅れ・・・
あの苦労は一体何だったの?(うっ。涙)
今となっては履歴書にも書けません。
クレアボヤンススクールに入って、一番初めに言われたのは、
「深刻にやらない事、まじめにやらない事」でした。
いきなり驚いてしまいました。初めから今までの価値観を覆されたんですから。
おちゃらけてやれとか、不真面目・いいかげんにやるのがいい、という訳ではない。
深刻にやらなくても出来る。真剣なのと深刻になるのは違うと。
あぁ、なるほどねー・・・
ところが、聞くとやるとでは大違い。深刻に(まじめに)やるのが通常モードになっている私は、
気がつくと深刻に(まじめに)なってしまいます。
でも、最初はなんだか難しかったけど、楽しければ笑いながらでも自然と「真剣に」やっているんです。
要は自分が楽しいのかどうか。
ヒーリングやリーディングに来る方は、「深刻な」悩みを抱えている事がよくあります。
その問題となるエネルギーを見ると、重かったり暗かったり、
体に悪影響を及ぼしている事も見うけられます。
逆に、本人は深刻に訴えていても、エネルギーは軽く明るいこともあります。
そんな時は、それを伝えるだけで、ぱっと視界が開けることもあります。
どっちにしても深刻なエネルギーって、ない方がずっとスムーズに物事が運びますね。
最近は、深刻になっている時が自分でわかります。
そんな時は「おっといけねえ」と自分で気付くだけで、それ以上はまらずに抜け出す事が出来るか、
抜け出す様に行動する事が出来ます。
以前から私を一番深刻にさせていた状況が再び起きても、「なあぁんちゃって」で終わる様になってます。
「なあぁんちゃって」で終わると、楽ですよ・・・
私、根がまじめっこだから(ほんと)、こう思えるようになるには時間もかかってますけど、
(調子が悪いと、たまにはまってる事もありますけど)
あんなに深刻な状況にはまっている事の多かった私が、「なんちゃって」で済む様になってるって事は、
その気になって変わる事を選択すれば、誰でもそうなれるってことだと思います。
「どんな自分でありたいのか」を自分で選ぶ。それだけです。
2009年10月27日
アドバンス卒業旅行2
今回のことでは、とてもいい学びをしました。
エネルギーを扱う事の強力さ、簡単さ、素晴らしさなどです。
アドバンスコースと言うだけあって、扱う内容が更に微細で、効果は強力でした。
毎月クラスに行く度に成長期を迎え、終わるとクリアされていました。
(成長期とは、霊的な意味での成長期です。ここでは他人の情報や古いパターンなどがなくなる事で
エネルギーが浄化される事を指します。成長期の時は、何がクリアされようとしているのか
はっきりわからない事が多いですが、思いだしても大丈夫な頃になると
『ああ、あの時はこれがクリアできたんだ』と分かる事が多いです)
様々なスキルを学ぶと同時に、自分が大きく変化しました。
外部は大きな変化がなくても、自分の内部での成長がはっきり認識出来る。
そして、どんなに成長しても肉体をもって生れてくることを選択する限り、次の成長がやってきます。
それをまたクリアしていくと、自分が成長しているんです。
具体例で言うと、以前なら気にしていたことが気にならなくなった、昔は素直に感情表現出来なかったのに、
なぜかできるようになって、しかもそれがとても楽、などなど。
ちなみに私は毎月クラスに行く度に、みんなから「見るたびに女らしくなる」といわれていました。(^^)v
女性性が上がったとも言えるかな?化粧が厚くなっていったわけじゃないですよ。
また、日常のこと全てを、初めにエネルギーレベルで見ていけばいくほど、今までの価値がなくなったり、
その逆もあったり。
例えば、デジカメ等の精密機械もエネルギーレベルで見てみると・・・
半年くらい使っていなかったデジカメを、久しぶりに充電して使おうとしたら、エラーメッセージが出てしまいました。
「レンズカバーが開いていない」というメッセージでしたが、カバーは開いている。
故障か~。面倒だな。ためしにヒーリングしてだめだったら修理にだそうと、ヒーリングしたら直りました!
ただ、いらないエネルギーがついてただけだったみたいです。やったー。ヒーリングって便利ー。
(デジカメ以外にも、ヒーリングしても効果がない事は良くありますが。そういう時は他にも原因があるんですね)
エネルギーを扱う事って難しい事のように思えるかもしれないけど、実はこれほど簡単な事はないんです。
レバナ先生のクラスに入り、その教えを始めから思いだしてみても、いつも先生は同じ事を繰り返し教えています。
その教えはとても簡単です。そして、その簡単さを実践するほどパワフルになります。
(おわり)
エネルギーを扱う事の強力さ、簡単さ、素晴らしさなどです。
アドバンスコースと言うだけあって、扱う内容が更に微細で、効果は強力でした。
毎月クラスに行く度に成長期を迎え、終わるとクリアされていました。
(成長期とは、霊的な意味での成長期です。ここでは他人の情報や古いパターンなどがなくなる事で
エネルギーが浄化される事を指します。成長期の時は、何がクリアされようとしているのか
はっきりわからない事が多いですが、思いだしても大丈夫な頃になると
『ああ、あの時はこれがクリアできたんだ』と分かる事が多いです)
様々なスキルを学ぶと同時に、自分が大きく変化しました。
外部は大きな変化がなくても、自分の内部での成長がはっきり認識出来る。
そして、どんなに成長しても肉体をもって生れてくることを選択する限り、次の成長がやってきます。
それをまたクリアしていくと、自分が成長しているんです。
具体例で言うと、以前なら気にしていたことが気にならなくなった、昔は素直に感情表現出来なかったのに、
なぜかできるようになって、しかもそれがとても楽、などなど。
ちなみに私は毎月クラスに行く度に、みんなから「見るたびに女らしくなる」といわれていました。(^^)v
女性性が上がったとも言えるかな?化粧が厚くなっていったわけじゃないですよ。
また、日常のこと全てを、初めにエネルギーレベルで見ていけばいくほど、今までの価値がなくなったり、
その逆もあったり。
例えば、デジカメ等の精密機械もエネルギーレベルで見てみると・・・
半年くらい使っていなかったデジカメを、久しぶりに充電して使おうとしたら、エラーメッセージが出てしまいました。
「レンズカバーが開いていない」というメッセージでしたが、カバーは開いている。
故障か~。面倒だな。ためしにヒーリングしてだめだったら修理にだそうと、ヒーリングしたら直りました!
ただ、いらないエネルギーがついてただけだったみたいです。やったー。ヒーリングって便利ー。
(デジカメ以外にも、ヒーリングしても効果がない事は良くありますが。そういう時は他にも原因があるんですね)
エネルギーを扱う事って難しい事のように思えるかもしれないけど、実はこれほど簡単な事はないんです。
レバナ先生のクラスに入り、その教えを始めから思いだしてみても、いつも先生は同じ事を繰り返し教えています。
その教えはとても簡単です。そして、その簡単さを実践するほどパワフルになります。
(おわり)
2009年10月27日
アドバンスコース卒業旅行
先日、長野県に行ってきました。
ヒーリングのアドバンスコースの卒業旅行だったのですが、
そこで私は一生忘れないであろう、強烈な体験をしました。
(なお、文章中に「儀式」とあるのは、)
(アドバンスコースのために特別に設けられた、卒業の儀式のことです。)
(宗教的なものではありませんので、誤解なさらないでくださいね。)
宿の近くにゼロ磁場で有名な場所があります。
希望者が自由時間に宿のバスをチャーターして、そこへ行くことになりました。
私も、「せっかく長野まで来ているんだし、行かなくちゃ!」と、張りきっていました。
後で思うと、長野行きのバスの中からいつもと違う感覚は何となく感じていたんです。
はっきり表現出来ませんが、なぜかぼんやりして疲れていました。
単純に、朝が早かったせいだろうと思っていました。
ゼロ磁場とは、インターネットの情報によると、磁力の全くない場所で、
人によっては気持ちよく感じたり、肩こりなどが治ったりするそうです。
そこに行ったらどんな感覚があるんだろう?普通と違うのかな?と、わくわくしていました。
その場所についてみると、有名なパワースポットだけあって、
他にもたくさんの人達が訪れていました。
私達も細い道を下ってそのゼロ磁場に辿りつきました。
「とりあえず、なるべく長くいてみよう」と思い、場所を確保しました。
「みんな、場所確保に苦労してるな~」
そうなんです。山の急斜面で、おまけに雨も降っていたので、足場が悪くて大変でした。
私はなんとか腰掛ける場所を確保出来ました。
その場所で土地の感覚を掴もうとしましたが、良く分かりませんでした。
それよりも私が気になって仕方なかったのは、その場にいる人たちの想いや、
逃げ回るクモの姿などでした。なぜか居心地が悪くて、頭痛もし始めました。
「なんで居心地が悪いんだろう?気持ちいい場所のはずなのに。」
そんなはずはないと、がんばって座っていました。
そう。すでに”がんばって”座っているという時点で、おかしいんですよね。
しかも、「気持ちいい場所のはず」と、頭で考えてしまっているんです。
仲間に聞くと、少し頭痛がするとのこと。なんでだろう?へんだなー。
おまけに、私達が来る前から下に座っていた人たちは、イライラしています。
上を見ると、クモが逃げまわっています。山の斜面は、木々が悲しそうだと感じました。
「あたし、帰る。」と、仲間に言って、先に駐車場まで戻りました。
駐車場についてからも、頭痛は治まるどころか、ますますひどくなってきます。
その痛さは、頭の中で除夜の鐘が鳴りつづけ、孫悟空の輪で締めつけられているような感じでした!
とにかく、痛かった!
宿に戻り、とりあえず横になって休むことにしました。
1泊2日の卒業旅行です。今夜は大事な卒業の儀式も控えています。
まさか、ここまできて儀式を休むわけにもいかないし。
夕食までの時間を、部屋で休んでいたのですが、ちっとも回復しません。
みんなとのおいしい(はずの)食事もそこそこに、すぐに部屋に戻って休みました。
私の調子が悪いことを知ったレバナ先生に、同室の人にヒーリングしてもらう様に指示されていたので、
すぐにヒーリングしてもらい、更に休みました。
少しは良くなるのですが、すぐに戻ってしまい、回復しません!
おまけに吐き気もしてくるし、どんどんひどくなっていきます。
「あー、どうしよう。これじゃあ儀式をやる場所までも行けないよ・・・」
儀式はバスで5分くらいの屋外でやるとのことでした。
しかし体調の悪いのは、何らかのエネルギーが原因だとはっきりしていたので、
一人で寝ていても治らないことは分かっており、とりあえず儀式の場所まで行ってみることにしました。
そこで、私の調子が悪い事を知った他の仲間達も、みんなで寄ってたかってヒーリングしてくれました。
それが効いて、少し楽になったので、儀式に参加することにしました。
儀式の輪の中に入ると、また頭痛と吐き気がひどくなり、立っていられません。
先生の指示で、座っていることになりました。
雨も時々降っており、砂利は濡れているけど、そんなこと気にもしていられません!!
儀式は続いています・・・だけど私はもう苦しくて苦しくて、身の置き所もありませんでした。
儀式の輪に入ったら、終わるまでは簡単に外には出られないと予め聞いていましたし、
むしろ儀式の輪の中にいる方が、エネルギー状態が高く保たれているので安全なのです。
輪の外に出た所で真っ暗闇だし、何がいるかわからないし、一人では帰れないし、
どうにもなりません。
・・・というわけで、今度は自分の為に”がんばって”座っていることにしました・・・
儀式は進んで行きます。私の頭痛も、吐き気も、進んでいくような(^^;)
あ~、みんなが楽しそうに儀式をやっているのに、私ったらもう!
そういえば、中学校の修学旅行も旅行先で熱だして、ひとりで旅館で寝てたなぁ、なんて、
思いだしては「うぇ~、気持ち悪い、あぁ、頭がガンガン締めつけられるう~」
雨は降るし、踏んだりけったりだよ、ゼロ磁場なんていくんじゃなかったー!
そんなこんなで、2時間半くらいガンバったんですね。
体は全く参ってしまっていましたが、ハイアーセルフはちゃっかり儀式に参加してました。
魂にとっては、からだは関係ないもんね。
それにしても、なぜこんなことになってしまったのか?
もちろん、ゼロ磁場のせいなんかじゃありません。「とても気持ち良かった!」という人もたくさんいます。
私の感覚に過ぎませんが、あの場所はいろんなものが増幅していた様に思います。
他人のイライラも、自分が感じた「場の想い」も、クモの姿も、全て増幅していました。
だけど一番の原因は、自分の中で解放する準備のあったものが、増幅していたことだと思います。
恐らく、長野行きのバスの中から始まっていたのが、ゼロ磁場で増幅された、ということなのかな。
おまけに、へんな存在がついてしまっていたり、他人からエネルギーを送られていたり、
いろんなことが一度に起こっていました。
仲間達のヒーリングやリーディング、物理的な手助けのおかげで、這うような思いで宿に戻り、
無事に(?)その日を終わる事が出来ました。
翌日は、まだ頭痛が残るものの、昨日よりは大分楽になっていました。
その頭痛も、ランニングエナジー(クリアサイトのスキルで、自分のオーラやチャクラをきれいにする方法)
をしたら、すうっと消えて行きました。
一時は、東京にすら帰って来れないかとも思うほどひどい状態でしたが、
最終日のワークショップも無事に終われて、卒業式を迎える事ができました。
(つづく)
ヒーリングのアドバンスコースの卒業旅行だったのですが、
そこで私は一生忘れないであろう、強烈な体験をしました。
(なお、文章中に「儀式」とあるのは、)
(アドバンスコースのために特別に設けられた、卒業の儀式のことです。)
(宗教的なものではありませんので、誤解なさらないでくださいね。)
宿の近くにゼロ磁場で有名な場所があります。
希望者が自由時間に宿のバスをチャーターして、そこへ行くことになりました。
私も、「せっかく長野まで来ているんだし、行かなくちゃ!」と、張りきっていました。
後で思うと、長野行きのバスの中からいつもと違う感覚は何となく感じていたんです。
はっきり表現出来ませんが、なぜかぼんやりして疲れていました。
単純に、朝が早かったせいだろうと思っていました。
ゼロ磁場とは、インターネットの情報によると、磁力の全くない場所で、
人によっては気持ちよく感じたり、肩こりなどが治ったりするそうです。
そこに行ったらどんな感覚があるんだろう?普通と違うのかな?と、わくわくしていました。
その場所についてみると、有名なパワースポットだけあって、
他にもたくさんの人達が訪れていました。
私達も細い道を下ってそのゼロ磁場に辿りつきました。
「とりあえず、なるべく長くいてみよう」と思い、場所を確保しました。
「みんな、場所確保に苦労してるな~」
そうなんです。山の急斜面で、おまけに雨も降っていたので、足場が悪くて大変でした。
私はなんとか腰掛ける場所を確保出来ました。
その場所で土地の感覚を掴もうとしましたが、良く分かりませんでした。
それよりも私が気になって仕方なかったのは、その場にいる人たちの想いや、
逃げ回るクモの姿などでした。なぜか居心地が悪くて、頭痛もし始めました。
「なんで居心地が悪いんだろう?気持ちいい場所のはずなのに。」
そんなはずはないと、がんばって座っていました。
そう。すでに”がんばって”座っているという時点で、おかしいんですよね。
しかも、「気持ちいい場所のはず」と、頭で考えてしまっているんです。
仲間に聞くと、少し頭痛がするとのこと。なんでだろう?へんだなー。
おまけに、私達が来る前から下に座っていた人たちは、イライラしています。
上を見ると、クモが逃げまわっています。山の斜面は、木々が悲しそうだと感じました。
「あたし、帰る。」と、仲間に言って、先に駐車場まで戻りました。
駐車場についてからも、頭痛は治まるどころか、ますますひどくなってきます。
その痛さは、頭の中で除夜の鐘が鳴りつづけ、孫悟空の輪で締めつけられているような感じでした!
とにかく、痛かった!
宿に戻り、とりあえず横になって休むことにしました。
1泊2日の卒業旅行です。今夜は大事な卒業の儀式も控えています。
まさか、ここまできて儀式を休むわけにもいかないし。
夕食までの時間を、部屋で休んでいたのですが、ちっとも回復しません。
みんなとのおいしい(はずの)食事もそこそこに、すぐに部屋に戻って休みました。
私の調子が悪いことを知ったレバナ先生に、同室の人にヒーリングしてもらう様に指示されていたので、
すぐにヒーリングしてもらい、更に休みました。
少しは良くなるのですが、すぐに戻ってしまい、回復しません!
おまけに吐き気もしてくるし、どんどんひどくなっていきます。
「あー、どうしよう。これじゃあ儀式をやる場所までも行けないよ・・・」
儀式はバスで5分くらいの屋外でやるとのことでした。
しかし体調の悪いのは、何らかのエネルギーが原因だとはっきりしていたので、
一人で寝ていても治らないことは分かっており、とりあえず儀式の場所まで行ってみることにしました。
そこで、私の調子が悪い事を知った他の仲間達も、みんなで寄ってたかってヒーリングしてくれました。
それが効いて、少し楽になったので、儀式に参加することにしました。
儀式の輪の中に入ると、また頭痛と吐き気がひどくなり、立っていられません。
先生の指示で、座っていることになりました。
雨も時々降っており、砂利は濡れているけど、そんなこと気にもしていられません!!
儀式は続いています・・・だけど私はもう苦しくて苦しくて、身の置き所もありませんでした。
儀式の輪に入ったら、終わるまでは簡単に外には出られないと予め聞いていましたし、
むしろ儀式の輪の中にいる方が、エネルギー状態が高く保たれているので安全なのです。
輪の外に出た所で真っ暗闇だし、何がいるかわからないし、一人では帰れないし、
どうにもなりません。
・・・というわけで、今度は自分の為に”がんばって”座っていることにしました・・・
儀式は進んで行きます。私の頭痛も、吐き気も、進んでいくような(^^;)
あ~、みんなが楽しそうに儀式をやっているのに、私ったらもう!
そういえば、中学校の修学旅行も旅行先で熱だして、ひとりで旅館で寝てたなぁ、なんて、
思いだしては「うぇ~、気持ち悪い、あぁ、頭がガンガン締めつけられるう~」
雨は降るし、踏んだりけったりだよ、ゼロ磁場なんていくんじゃなかったー!
そんなこんなで、2時間半くらいガンバったんですね。
体は全く参ってしまっていましたが、ハイアーセルフはちゃっかり儀式に参加してました。
魂にとっては、からだは関係ないもんね。
それにしても、なぜこんなことになってしまったのか?
もちろん、ゼロ磁場のせいなんかじゃありません。「とても気持ち良かった!」という人もたくさんいます。
私の感覚に過ぎませんが、あの場所はいろんなものが増幅していた様に思います。
他人のイライラも、自分が感じた「場の想い」も、クモの姿も、全て増幅していました。
だけど一番の原因は、自分の中で解放する準備のあったものが、増幅していたことだと思います。
恐らく、長野行きのバスの中から始まっていたのが、ゼロ磁場で増幅された、ということなのかな。
おまけに、へんな存在がついてしまっていたり、他人からエネルギーを送られていたり、
いろんなことが一度に起こっていました。
仲間達のヒーリングやリーディング、物理的な手助けのおかげで、這うような思いで宿に戻り、
無事に(?)その日を終わる事が出来ました。
翌日は、まだ頭痛が残るものの、昨日よりは大分楽になっていました。
その頭痛も、ランニングエナジー(クリアサイトのスキルで、自分のオーラやチャクラをきれいにする方法)
をしたら、すうっと消えて行きました。
一時は、東京にすら帰って来れないかとも思うほどひどい状態でしたが、
最終日のワークショップも無事に終われて、卒業式を迎える事ができました。
(つづく)