2011年04月17日

でも、そんな話が多くなる。

どうしても、噂話・・・?ってな話が多くなりますね。
なんでかな?ってちょっと考えてみたら、
人との関わりこそが、大多数の人にとって重要。
ってこと?

でもって、噂話の類にも、自分にとっては有益な情報というのはあるんですね。
どこにでも高次元のメッセージは転がってるし。
物理次元で、自分が心地よく過ごせる情報もあるし。


いつかレバナ先生が言ってました。
「人『を』笑うのではなく、人『と』笑うのです」

多分、目的が重要ってことなのかな。
ひとをおとしめたり、自分が優位である確認のために話すのでなければ・・・


以前、ある人の噂話を聞いて
とっても心が救われたことがあります。
「私だけが悪いわけじゃなかったんだ」ってのが分かったので・・・

噂話をしてはいけない、と自分の心だけで解決しようとしていたことが、
その話を聞いた途端に、すーっと心が楽に、軽くなっていきました。

「・・・してはいけない」ってのが、そもそも自分に判断を下していますよね。
自分に判断を下すという事は、やがては自己批判、自己卑下に繋がっていきますから・・・
そして罪悪感を持ってしまったら、カルマへと繋がってゆく~。
立派な悪循環の出来上がり!です。

なんでまあ、「ああまたこんな話してるな」って思って
自分を責めそうになったら
「ま、いっか」って深刻になる自分を捨ててしまえば良いですね。
レバナ先生風にいえば、「箱を爆破する」
ゲリーボーネル氏風に言えば「葛藤を手放す」かな?



  


Posted by ピュアライト at 21:53Comments(0)言葉

2011年04月14日

ゴシップから外してください(笑)

職場の同僚・近所のママ友さん、友人たち、家族・・・

毎日どんな人とお話しますか?

どんな話をしますか?

職場では仕事の話がメインですか?

ママ友さんは?友人は?家族は?

ちょっと考えてみてください。

ゴシップって、多くないですか?face15

噂話とか(良い意味でない)、文句とか、誰かの悪口みたいになってしまう事、ありますか?

気が付くと、そんな話ばかりしているときってないですか?

「○○さんってさー、こないだ△△でさー、も~嫌になっちゃう」
「そうそう、××なんだよねえ。信じらんないよねえ」

とか。

あ~、あるなあ、あたし・・・。emoji06

誰かが誰かの文句言ってるのを聞いてるとき、急に疲れることってないですか?

ふぅ~って足から力が抜けてきたり、体が重く感じられたり、意味もなくイラついたり。

それは、その話を聞くことで自分のエネルギーが抜かれている証拠ですね。

オーラの一部をすくい取るようにもって行かれるのが分かった時があります。
イラつくのは、相手の感情がアイロンプリントのように自分のオーラに転写されたときです。

いかんいかん。自分のオーラは自分でしっかり所有しなくてはね。
もっていかれたときは返してもらって。
常にグラウンディングを強くして、オーラをぐっと引き寄せて。
そうしようとすればそうなります。 エネルギーは自分の言いなりですから。

そうやってエネルギーレベルで自分の波動をあげると、保護になります。
オーラを保護しようとオーラの周りに何かを張り巡らすようなものを使う時は注意してください。
外のものを入れない代わりに、中のゴミも出なくし、循環が滞ることがあります。
なので、プロテクトするより波動をあげることに重点を置いた方が私はお勧めです。

そして、ゴシップなどからは外れた生き方をするのが良いですね~(笑)
そうしようとすればそうなりますからね~。
全ては自分の「選択」です。  


Posted by ピュアライト at 15:25Comments(0)言葉

2010年07月15日

今あなたがどこにいようとも

「今あなたがどこにいようとも、そこが今あなたがいるべき場所なのです」


クレアボヤンススクール(透視リーディングを学んだクラス)の、インターンクラスに参加していた時、


レバナ先生が言った言葉です。


そのころ私は自分の居場所が好きではなくて、

かといって状況も変えられず、苦しい思いをしていました。

そんな時に聴いた言葉。

胸に響きました。


あれから何年もたつけど、


深く自分の中に浸透している名言icon06です。
  


Posted by ピュアライト at 22:22Comments(0)言葉

2009年10月27日

がんばれ

子供のころから当たり前のように言っていましたこの言葉。
でも、がんばれって励ますことが逆に相手の負担になることもあるということに気づいたのは看護学生のときでした。
「看護婦が患者さんに向かって、がんばれと励ましてはいけない。
 患者さんはもう十分がんばっているんだから、かえって追い詰めてしまうことになる」
という主旨の講義がありました。
そのとき初めて「そういう考えもあるんだ」ということに気づきました。

だって、昔から困っている友人や、何かの相談をされた時には「がんばって。私も応援するから!」「がんばれ、ファイト」
など当たり前のように言ってきませんでしたか?
じゃあ逆に、がんばれって言われて本当に励まされたことってあるのかなあ?
うーん、と記憶をたどってみるけど・・・どうだろう。
試験前に家を出るとき「がんばってこいよ」、友人同士で「がんばろう!」などといって励ましあうことは、
人によっては「よーし」って思うかもしれないけど、私なんかはかえって力んでしまうというか、余分な力が入りすぎてしまいます。
すると、本当は楽にできるかもしれないのに、自分で大変にしていたりして。
がんばれって言うことのすべてが相手にプレッシャーを与えるとは限らないとも思うけど、言い方にもよるんでしょうか。

病棟看護婦として働いていたころ、血液疾患の患者さんで父親と良い関係を保てていない方がいました。
父親という人はほとんど病院に見舞いには来ていなかったようです。
患者さんは、幾度もきつい抗癌剤の治療を行い、副作用に耐え、入退院を繰り返していました。
入院の合間に自宅にいるときは、父親から「もっとがんばれ、がんばれ。がんばらないから病気が治らないんだ」と
いうようなことを言われていたようです。
その話を聞いたとき、背筋が寒くなりました。「あれ以上、どうやってがんばれって言うんだろう?」
もちろん、親としての気持ちは察するに余りある、というところですが・・・

催眠療法のクラスで幼児期退行などをしていたころは、父から勉強を「がんばれ、がんばれもっとやれ、もっとやれ」
と叱咤され続けている場面があり、涙が止まりませんでした。
私の心は「もうできないよ、これ以上できないよ」と悲鳴を上げていたことが思い出されます。
看護婦時代も、すべてに行き詰まって仕事をやめようか悩んでいるときなども、
がんばれっていう言葉ほどやる気をそぐものはなかったな。「これ以上どうしろって言うの!」って。

日本の経験した戦争や、近年の大きな地震などでは、被害を受けた人たちが「みんなでがんばろう!」と一生懸命になり、
その結果、経済成長や復興を実現してきました。
私も、病棟の夜勤であまりの忙しさ、大変さに一人で押しつぶされそうになっているとき、
すれ違った仲間の看護婦と目があったり、一言二言「がんばろう」みたいな声をかけあっただけで安心し、
何とかこなしていけた経験は多くあります。
同じ境遇の仲間同士で「一緒にがんばろう」って言うのは本当に励まされるものなんでしょうか。
「がんばれ」より「がんばろう」ならいいのかな。

以前にも触れましたが、クレアボヤンススクールに入って一番最初に先生から
「がんばってやらないでください」と言われました。
「がんばらなくてもオーラは見えるようになる。むしろがんばらないほうがエネルギーは簡単に扱えるようになる」。

「がんばっても中々うまくいかないけど、がんばらないと今よりもっと状況が悪くなるかもしれない」のなら、
今がんばってやってることは自分の行く道ではないかもしれない。
一つの指標としては「それやってて楽しい?」と自分に聞いてみるとよくわかるかもしれません。
でも、日本には昔から「楽しむことは良くないこと」という根強い道徳観念があるので、
楽しくないと言う理由でそれをやめる理由には中々ならないかもしれませんが。
でも、何しろ楽しいかどうかは重要ですよ。

看護学校での講義から、私は患者さんだけではなく、誰に対しても「がんばれ」を言わないように気をつけるようになりましたが、
つい、言いそうになることがあります。
そんな時は結構無責任にこの言葉を使おうとしていることに気づきます。
言う側にも理由があって言っているのかもしれません。
誰かを励ますことで自分も奮い立たせる必要があるとか。
その他、がんばれの言葉の裏にはこんなメッセージを送っていることもあるかもしれません。
「私はあの人にがんばれって言ったのに失敗したのはがんばりが足りなかったからだ。
 私の言うことを聞いてもっとがんばっていれば失敗はしなかっただろう。
 (私の言うことは正しい。私は良い人間である)」
その人の言葉と、実際にその人が送っているエネルギーには大きな隔たりがあったり、
異なるメッセージだったりすることはよくあります。   


Posted by ピュアライト at 11:33Comments(0)言葉

2009年10月27日

気にしない

「気にしないほうがいいんじゃない?」って言葉、よく使うけど・・・
気にする人にとっては、気にしないでいることってどうしたらいいかわからないんですよねー。
私は以前、小さな事、取るに足りない失敗、過ぎた事をクヨクヨ悩んだり、
誰かの言った一言をずぅ~っと気にしている事が多かったです。
そんな時「気にしなければいいんじゃない?」と人から言われると、
「気がつく前から気にしちゃってるのに、どうやって気にしないようにするのか教えてよ」ってよく思ってました。

この問いに対する返答としては、「他のことを考える」「楽しい事をして気を紛らわす」などが多いかな。
だけど、これでは真の解決方法にはなりません。どちらも、気にしてしまう根本の原因を覆い隠しているだけなんですから。
時間が経ってそのことを忘れたとしても覆いが厚くなるだけで、再び同じ状況が起こればあっと言う間に
「気にする自分」に戻ってしまいます。
何かをずっと気にしている時って、他のことも身をいれて考えられないし、楽しい事もなくなってしまいます。

気にすることが多い人って、「気にする」ことで安心している事が多いみたいです。
気にしている自分を見て、「こんなに気にしているからいいだろう」とか。
相手に悪い事をした、と悔やんでいる時などは「こんなに悔やんで気にしていれば許されるだろう」など。
もっとエスカレートすると「気にすることで病気になってから相手に会えば、そこまで思っていたのか、と振り向いてくれるかな」
なーんてぎりぎりの選択もあるかな?
「気にすること」が自分のアイデンティティを確立するための手段になっていると、抜け出すのは簡単ではないようですね。
かつての私で言えば、

友人関係の悪化を気に病んで食欲がなくなった。そのため、やせて体力がなくなり「最近元気ないね」と
周りの人から言われるようになった。

これなんか、気にすることで自分を表現しようとしているいい例だと思うんですが。
その時は自分のことで精一杯でしたが、「私、気にしているの。かわいそうな私に振り向いてくれないかしら」って
その友人に深刻なエネルギー送っていたんだろうなあ。
また、他の友人達にも「あの事を気にしているんだ。友紀ってそういうところあるからね」などと言ってもらうことで、
いつもの自分像を作ろうとしていたのかもしれません。
こんなふうに、自分の失敗を前向きに変化するきっかけにせず、自分を傷めつけることを選んでしまうのはつまらないことですね。

そんなに思いつめてしまう自分を変えるにはどうしたらいいんでしょう?
私の場合、些細な事を気にしてしまう自分が嫌で、そんな自分を変えたかった事もあり、エネルギーワークを学びました。
そして、エネルギーワークを学ぶ事で自己評価が上がり(自分を好きになれた、と言うこと)、
その結果「気がついたら、色々気にすることが少なくなっていた」のです。
「気がついたら気にしていた」私がですよ。

今でも、気にしてしまうことはあります。
そういう時は『爆破』して、気にしていたことを片っ端からなくすようにしています。
(注:『爆破』とは、クリアサイトのスキルです。)
(気になる出来事や感情に宿るエネルギーをあるべきところに戻す事を言い、ヒーリングの要素でもあります。)
(詳しくは レバナ・シェル・ブドラ著「今すぐに人生を変える簡単な六つの方法」求龍堂 を参照してください。)
(本屋さんでは売っていませんが、リンクしているJMAのHPから買う事が出来ます。)

気にすることが少なくなると、自分が本当にやりたいことに対して100%のエネルギーで臨む事が出来ます。
つまり、本来注がなくてもいい所にエネルギ―を送る事がなくなるので、今まで無駄遣いしていたエネルギーが自分に戻ってくるのです。
すると、昔は楽しめなかった事でも楽しめるようになったり、楽に成功することが多くなっていきます。   


Posted by ピュアライト at 11:30Comments(0)言葉

2009年10月27日

深刻と真剣

この二つ言葉の意味、ほとんど同じように思いませんか?
でも実は、結構違うんだということをしみじみ感じます。
どう違うのかと言うと・・・

「深刻」について。
『深刻に考える』っていうと、頭抱えて硬い表情で、うーん・・・と言うようなイメージが浮かびます。
すごく大変そうで、近寄って言葉をかける事も出来なそうな感じですよね。
じゃあ、「真剣」は?
『真剣に考える』と言うのは、深刻よりもトーンが軽いような感じがしませんか?
そして、真剣に考えている間でも笑っている事は出来るような気がしませんか?
真剣に楽しむ、って言葉はあっても、深刻に楽しむって言葉は聞かないですよね・・・

「真剣にクッキーを作る」→「深刻にクッキーを作る」
「真剣に愛する」    →「深刻に愛する」
「真剣に遊ぶ」     →「深刻に遊ぶ」

やっぱり深刻になっちゃうと「やめてくれ~」って感じですね。
深刻に作ったクッキーって、あんまり食べたくないし、深刻に愛されたら重そうだし、
深刻に遊んでもらっても、楽しくなさそうだしね。

じゃ、ためしに『楽しく』をつけてみたら・・・
「楽しく真剣にクッキーを作る」→「楽しく深刻にクッキーを作る」
「楽しく真剣に愛する」    →「楽しく深刻に愛する」
「楽しく真剣に遊ぶ」     →「楽しく深刻に遊ぶ」
真剣になにかをやっている時は、楽しく・軽くできそうですね。
だけど、深刻ってついてると、楽しくなにかをするってありえないなぁ。
私の育った環境や、見ていたTV番組から送られてくるメッセージは、「深刻=良い事」だった様に思います。
汗と涙をながして、深刻な状況から努力して這い上がるのって、美しく描かれる事が多いみたい。
(これは、日本独特の価値観や道徳観念が強く影響していると思いますが)

以前の私は、親や先生から誉めてもらう(認めてもらう)ためには、まじめに努力して、
苦しい所から這い上がる姿を見せていればいいのだと思い、無意識にそうやって行動していました。
いつも心の底には「親(先生など)から認めてもらいたい」意識があって、態度では反抗しつつも、
心の中ではいつも、自分以外の誰かから認めてもらいたがっていました。
私は何度も受験や資格試験を受けて、やっと分かりましたけど、
自分で自分の事を認める事をせず、誰かに認めてもらおうとしているだけでは、
どんなに世間で成功といわれている状況を重ねても満足感は得られませんね。
もっと上へ、もっと上へと追いたてられ、疲れてしまうだけです。

私の例で言うと、
高校を卒業してデパートに勤務し、2年後にコンピューターの勉強をしようと思い立ち、専門学校へ入学しました。
合格した時は母と大喜びしましたが、今思えば、心のそこからコンピューターの勉強をしたかったわけではなく、
「将来の事を考えて資格をとるため」「自分のやりたいことかもしれないから、とりあえず必死で勉強したい」
という理由からの進学だったと思います。
初めのうちは新しい勉強や生活が新鮮で楽しかったのですが、情報処理の国家資格をとるための2年間の勉強は、
徐々に辛く苦しいものになっていきました。(楽しい事もありましたけどね)
半年に1回の割合でその試験はあったのですが、私は3(4?)回目でやっと受かりました。

ここでは常に先生から「国試に受かるには」「いい所へ就職するためには」等の教育をされましたが、
私は勉強を楽しむどころか「先生に認めてもらうには」「いい成績をとって親に認めてもらわなくては」
という思いだけだった気がします。
「これじゃあ苦しくて当然だ!」というのが、今はわかるけど、当時は「他に道はない!」
という勢いで深刻に勉強してたなー。
まあ、この経験が無駄だったとは思っていませんが、「トホホ」な気分なんですよねー。
だって、その国家資格はすでに名前も変わってしまうほど昔のものだし。ウインドウズが発売される前の資格ですよ!
(しかもフロッピーは直径20cm位のサイズだった)
その後は仕事も私生活もコンピューターからは離れていたから、昨今の進化には乗り遅れ・・・
あの苦労は一体何だったの?(うっ。涙)
今となっては履歴書にも書けません。

クレアボヤンススクールに入って、一番初めに言われたのは、
「深刻にやらない事、まじめにやらない事」でした。
いきなり驚いてしまいました。初めから今までの価値観を覆されたんですから。
おちゃらけてやれとか、不真面目・いいかげんにやるのがいい、という訳ではない。
深刻にやらなくても出来る。真剣なのと深刻になるのは違うと。
あぁ、なるほどねー・・・

ところが、聞くとやるとでは大違い。深刻に(まじめに)やるのが通常モードになっている私は、
気がつくと深刻に(まじめに)なってしまいます。
でも、最初はなんだか難しかったけど、楽しければ笑いながらでも自然と「真剣に」やっているんです。
要は自分が楽しいのかどうか。

ヒーリングやリーディングに来る方は、「深刻な」悩みを抱えている事がよくあります。
その問題となるエネルギーを見ると、重かったり暗かったり、
体に悪影響を及ぼしている事も見うけられます。
逆に、本人は深刻に訴えていても、エネルギーは軽く明るいこともあります。
そんな時は、それを伝えるだけで、ぱっと視界が開けることもあります。
どっちにしても深刻なエネルギーって、ない方がずっとスムーズに物事が運びますね。

最近は、深刻になっている時が自分でわかります。
そんな時は「おっといけねえ」と自分で気付くだけで、それ以上はまらずに抜け出す事が出来るか、
抜け出す様に行動する事が出来ます。
以前から私を一番深刻にさせていた状況が再び起きても、「なあぁんちゃって」で終わる様になってます。
「なあぁんちゃって」で終わると、楽ですよ・・・

私、根がまじめっこだから(ほんと)、こう思えるようになるには時間もかかってますけど、
(調子が悪いと、たまにはまってる事もありますけど)
あんなに深刻な状況にはまっている事の多かった私が、「なんちゃって」で済む様になってるって事は、
その気になって変わる事を選択すれば、誰でもそうなれるってことだと思います。
「どんな自分でありたいのか」を自分で選ぶ。それだけです。
  


Posted by ピュアライト at 11:22Comments(2)言葉