2009年10月27日
私の職業2
憬れの看護婦になった私は、「これでやっと人生の中で一番素晴らしい自分になれるんだ」と、意気込んでいました。
配属されたのは内科病棟です。ここは血液疾患患者のためのクリーンルームもある病棟で、
白血病や悪性リンパ腫、骨髄腫などの患者さんが約半数いらっしゃいました。
後で分かった事ですが、この病棟の婦長さんは、私の亡くなった友人が入院していた時も
同じ病棟の婦長で、彼女の事も知っていました。ここに来る意味があったんだと思います。
ずっと自己探求を続けてきた私ですが、いつもとても大事な事に気付かずにいました。
クレアボヤンス的表現をすると、「今の瞬間にいない」という事です。
いつどこで何をしていても、「今の瞬間」を幸せに感じられなければ、いつになっても幸せは訪れないのです。
それまでの私は、常に未来を夢見ていました。
「この仕事は本当に自分が求めている仕事じゃないから辛いし、楽しくないんだ。
私はもっと自分にあった仕事に就けば必ず幸せになれる!」と信じていました。
現実逃避ばかりしていたのかもしれません。
次の新しい仕事を見つけ、新たな世界に飛び込んでは物足りなくなり、また次の仕事を探す、という事の繰り返しでした。
未来を見続けると同じに、過去にも縛られたままでした。
幼い頃のトラウマや、両親の不仲から来る怒りなどをバネにしていました。
未来を夢見るのも、過去の悔しさをバネにするのも、一見バイタリティに溢れた良い事の様に感じます。
でも、いつも「今の瞬間にいない」ままだとすると、一体いつになったら幸せになれるんでしょう?
まあ、とにかく大変な思いをして看護婦になった訳です。必死でした。
まず、つまずいてしまったのは年令の壁です。私は29歳で新人です。
29歳というと、順調に来ていれば看護婦としては頼りにされるお年頃です。
分かっていた事ですが、自分より年下の先輩達が病棟の中心になって働いているのを見て、愕然としました。
若い先輩たちに手取り足取り教えてもらわなくては何も出来ない私。何をやってもうまくいきません。
「今が一番大変なんだ、自分がなれる最高の職業に就くことができたのだから」と、毎日が緊張の連続です。
そんな私も半年くらい経つうちに何とか、一人でも動けるようになってきました。
同僚や先輩たちとも笑顔で接する事が出来る様になり、看護婦としてのやりがいも分かりかけてきたような・・・
(つづく)
配属されたのは内科病棟です。ここは血液疾患患者のためのクリーンルームもある病棟で、
白血病や悪性リンパ腫、骨髄腫などの患者さんが約半数いらっしゃいました。
後で分かった事ですが、この病棟の婦長さんは、私の亡くなった友人が入院していた時も
同じ病棟の婦長で、彼女の事も知っていました。ここに来る意味があったんだと思います。
ずっと自己探求を続けてきた私ですが、いつもとても大事な事に気付かずにいました。
クレアボヤンス的表現をすると、「今の瞬間にいない」という事です。
いつどこで何をしていても、「今の瞬間」を幸せに感じられなければ、いつになっても幸せは訪れないのです。
それまでの私は、常に未来を夢見ていました。
「この仕事は本当に自分が求めている仕事じゃないから辛いし、楽しくないんだ。
私はもっと自分にあった仕事に就けば必ず幸せになれる!」と信じていました。
現実逃避ばかりしていたのかもしれません。
次の新しい仕事を見つけ、新たな世界に飛び込んでは物足りなくなり、また次の仕事を探す、という事の繰り返しでした。
未来を見続けると同じに、過去にも縛られたままでした。
幼い頃のトラウマや、両親の不仲から来る怒りなどをバネにしていました。
未来を夢見るのも、過去の悔しさをバネにするのも、一見バイタリティに溢れた良い事の様に感じます。
でも、いつも「今の瞬間にいない」ままだとすると、一体いつになったら幸せになれるんでしょう?
まあ、とにかく大変な思いをして看護婦になった訳です。必死でした。
まず、つまずいてしまったのは年令の壁です。私は29歳で新人です。
29歳というと、順調に来ていれば看護婦としては頼りにされるお年頃です。
分かっていた事ですが、自分より年下の先輩達が病棟の中心になって働いているのを見て、愕然としました。
若い先輩たちに手取り足取り教えてもらわなくては何も出来ない私。何をやってもうまくいきません。
「今が一番大変なんだ、自分がなれる最高の職業に就くことができたのだから」と、毎日が緊張の連続です。
そんな私も半年くらい経つうちに何とか、一人でも動けるようになってきました。
同僚や先輩たちとも笑顔で接する事が出来る様になり、看護婦としてのやりがいも分かりかけてきたような・・・
(つづく)
Posted by ピュアライト at 11:17│Comments(0)
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