2009年10月27日

私の職業

子供の頃の夢って何だっけ?・・・お花屋さんだの、保母さんだの考えていたのかな?
その中に看護婦の夢もあったような気がします。
私は小学校5年生くらいの時から、進路を漠然と考え始めていました。
それまでは勉強も大っ嫌いで、よく両親に怒られていたのですが、
ある日突然やる気になって勉強を始めたので、親も驚いていました。
「大人になるって、これから受験とか一杯やらなくちゃならない・・・面倒くさいなあ」と
大きな絶望感も感じていましたが。
高校受験の頃、仲の良い友人のひとりが准看護婦学校に入って看護婦になる道を選びました。
(当時は中学卒業と同時に、定時制高校に通いながら准看護婦学校にも通える、というシステムがありました)
その話を聞いた時、妙に焦りを感じた事を覚えています。
でも私は普通高校に通う事しか考えられず、
「私が看護婦になるにはかなり遠回りしなくちゃならない」と、なぜかその時思いました。
やりたいことが一杯あるから、きっと素直に看護学校には入らないだろうと分かっていたんでしょうね。
自分は看護婦になるだけじゃ絶対収まらないって。私、欲張りなんですよ(^^)V

高校を卒業して、就職(某デパートの販売員)

専門学校(コンピュータープログラマーになるべく、情報処理の資格をとる)

神奈川県内の会社に就職し設計の仕事に就く
という2・3年サイクルで自分探しをしていた頃のことです。
高卒で入った某デパートの同期の友人が白血病で緊急入院してしまいました。
彼女は私より5歳年上でしたが、なんでも相談出来るお姉さんのような存在でした。
入院したという話を聞いた時から「私は看護婦にならなくてはいけないんじゃないか?」と思うようになりました。
2年間の闘病生活の後、彼女は亡くなりました。
その時も看護婦にならなくちゃいけないんじゃないの?と何度か思いましたが、
すでに神奈川県内での設計の仕事が楽しくなっていたし、また受験して大変な思いをするなんてとんでもない!無理無理!
当時は「男性並に働ける女性になる」事を目標にしていたので(!)、
片道1.5時間の通勤と、多い月では残業80時間、という生活をしていたし、やりがいも感じていました。

ところが、というか当然というか・・・
友人の死から半年くらい経った夏、そんな生活があだとなり、私は過労で入院してしまいました。
幸いそれほどひどい病気ではなく、6人部屋の中では一番若くて元気な患者だったので、
向かいのベットのおばあさんがちっとも食欲がでないのを、看護婦さんと一緒になって心配したり、
時々おせっかいをやいたりしていました。
ある日看護婦さんと一緒におばあさんのベットサイドに立ち、「食べないの?困ったねえ」
なーんて言っている時、「はっ!!」と気がついてしまったのです!
「私、白衣着てない!どうしよう、恥ずかしい!!」
つまり、自分はすでに看護婦になっていて、勤務なのにパジャマで出てきてしまった、という妙な錯覚をしたのです。
おまけの極めつけ、その翌日に造影剤という薬液を注射してレントゲン撮影をしたのですが、
その造影剤が体に合わず、全てのレントゲン撮影が終った直後に、
全身の筋肉が「ガツーン!」という感じで、硬くなり縮んでしまうという、一種の急激なアレルギー反応を起こしてしまいました。
両手、両足、首、舌も自分の意志とは関係なく縮んでしまうんです!!
呼吸も苦しくなり、もう死ぬかも?と思いました。
恐いやら苦しいやら、看護婦さんもお医者さんもドタバタしての大騒ぎとなりました。
すぐに適当な処置をしてもらい、しばらくすると体も呼吸も元に戻りました。
とうぜん、撮影を始める前にテストもして異常はなかったんですけどね。
「これはダメ押しかな」と思いましたね。

そこで私はついに決心しました。「看護婦になれってことだわ」
受験の苦労も、看護学校での困難さも想像しましたけど、もう、やってやるよ・・・(++;

翌年の4月に静岡の准看護婦学校に入学、短大の看護2科と無事に進学し、
晴れて29歳で看護師になる事ができたのです。
あ~大変だった。ホントにもう、冗談じゃないわ。20代は勉強で終わってしまったわ。

漠然と何かに導かれているような気がしはじめたのもこの頃かな?
それまではスピリチュアルな事には無縁だったし、霊感のようなものもない私ですが、
短大の看護科に通っている時、原付で4t車に巻き込まれて原付が大破するという事故に遭いました。
ところが私は巻き込まれる寸前のところでスッと立ちあがり、服にかすり傷さえつかなかったんです!
その時、原付のポケットの中に、海外移住する友人のために描いた阿弥陀仏や不動明王など、
4枚ほどの写仏画が入っていたんですが、原付は車体の真中まで引きずりこまれたのに、薄い紙に書いた写仏画も無傷でした。
この事があってから「看護婦になるように動かされたのも私や写仏画が無傷だったのも、
「目に見えない力が動いている」と強く思うようになりました。
(実は短大は入試で落ちたんですが、追加合格ですれすれのところで入れた、と言う経緯もありました。)

そして、念願の総合病院の病棟看護婦になった私を待ちうけていたものは・・・?!
つづく。(たぶん)


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Posted by ピュアライト at 11:16│Comments(0)職業
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