2010年04月26日

うちの2才の透視能力

うちの娘が、さらっと言ってのけるんです。

TVみながら「むかしおとなだったとき、これみたことあるよ」face08がーん!



場面は酒場。タンゴが流れていて、椅子がタンゴを踊っているというものでした。


「踊ってたの?」「うん、おどってた」


昔はダンサーだったそうです。face04


熱を出して寝ていた時。
抱きながらジュースを飲ませ、台所に片付けに行って戻ってきたら、布団の近くに置いてあった娘の大好きなぬいぐるみが、娘にぴったり寄り添うように寝ていました。
あれ?あたしは置いてないのに・・・ぐったりだからそんな元気はないし、誰も入らなかったはずだし・・・

「ぬいぐるみ、じぶんで置いたの?」

(ううん、と首を横に振る)

まさかと思いつつ「ぬいぐるみが自分で歩いてきたの?」

(うん、とうなづく)

「・・・・・。」
もういっかい聞いてみよう。今度は逆に。

「ぬいぐるみが自分で歩いてきたの?」

(一瞬考え、うん、とうなづく)


「ぬいぐるみはじぶんで置いたの?」

(ううん、と首を横に振る)




おいおいおいおいおい・・・・・・マジですか・・・・


そしてホメオパシーのレメディで早く熱が下がって、数時間後。
兄の兜飾りを見ながら

「かみさまがいる~~」

「え?かぶとでしょ?にいにの兜だよ」

「ちがうじゃん、かみさまだよ~~。ばあばとじいじの神さま」

・・・かないません。face03
でも、娘は生まれる前から色々メッセージを送ってきていたので、こんな能力もあっても不思議はありません。個性の一つとして、うまく伸ばしてあげられたらいいな、と思います。  


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2010年03月09日

オリーブbiz柴田さんのオドロキ

先日の私のリーディングセッション中の事です。

私のセッションは対面式で行います。
向かい合って座り、私は目を閉じて相手の方のオーラを透視しながら見えた内容をお伝えしていきます。
透視をする時は眉間にあるといわれる「第3の目」、エネルギーを見る目で見ています。
もちろん目をあけたままでも透視はできる(というか、だれでも日常的にしている)のですが、よりエネルギーにフォーカスするためには肉眼で見える情報は邪魔になります。目を閉じて、第3の目だけ開けていた方が透視しやすいのです。

その日もいつものように向き合って座り、リーディングをしていました。リーディングも終わりに近づいた時、講座の仕事を終えた柴田さんが帰ってきました。
リーディング中の私の横顔がセッションルームの隙間からちょうど見えたそうですが、私の目が!!


目が、見えなかったそうです・・・・・(汗)


え?どういうこと??

つまり、私の目の辺りが、TVで顔を隠す時によく使う「ぼかし」のようになっていたそうなんです。
目のところだけが!
「のっぺらぼーみたいだった!びっくりしてずぅ~~っと凝視しちゃったけど、やっぱり目が見えなかった!!」とホワイトボードに図を書いて説明しながら、かなり興奮ぎみのオーナー柴田さん。

リーディングは透視の目で見るから肉眼は使っていないと言うことを知っている柴田さんだからこそ、そう見えたんでしょうか。

それにしても、目が見えなかったといわれたのは初めてです。
クリアサイトのスクールに通っている時は、広いフロアに生徒同士が何組もリーディングをしあうのですが、周りの生徒たちの目がそんな風に見えたことはありませんし、聞いたこともありません。

柴田さんも透視能力全開です。
  


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2010年01月19日

日常の中のスピリチュアル (寒い時編)

私は週3日、総合病院でパートで働いています。
最近は朝、寒いですね。バスで通勤していますが、厚着しているから上はいいけど、どうしても足が冷えてしまいます。特に指先は冷え切って痛みを感じるほどです。

こんな時、席に座ってじっとガマン・・・しているだけではなくて、なんかできないかな。
指先を動かしてみたりしますが、そんなもんじゃ追いつかないこの冷たさ。

そうだ、こんなときこそエネルギーレベルでなんかしてみよう、と思い立ちました。
すぐに暖かくなるとは思えないけど、やらないよりはいいかも!
まず、暖炉を創造してみました・・・でも、暖炉にはなじみのない私。それよりは普段使っているストーブとか、ゆたんぽの方が創造しやすいですね。
ということで、ストーブと湯たんぽのダブル攻撃だ!!!

ストーブはぼんぼん燃えている・・・湯たんぽに足を乗せている・・・ほーらじんわり、あったか・・・く、ならない~。かなしい~。

そんなことしていると、ひらめきがやってきました。

「足用カイロ」

そ、そ、そうか、その手があったか!!!ありがとう、ハイアーセルフ!気が付かなかったよ!(もっと早く気が付こうよ)

と言うわけで、今日の帰りには足用カイロを買って帰ろうと心に誓ったのでした。

こんなふうにハイアーセルフは、人生とは?魂とは?みたいな深いレベルのことだけでなく、自分の肉体が困ったり、迷ったりしたことだったら、どんなことでもひらめきや偶然などの形で答えてくれるものなのです。
ただ、ハイアーセルフの声を聞きやすくするためには、瞑想などの方法でコミュニケーションのとり方を学ぶ他にも、肉体面の浄化(体内の解毒など)や、感情面の浄化など、高次元のエネルギーと触れやすい体作りが必要になってくるとは思いますが。  


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2009年12月28日

日常の中のスピリチュアル

私は平日セッションをしていない時は、総合病院の病棟でパート看護師として働いています。
病棟は3交代制です。私の勤務時間内にも勤務交代があり、勤務が終わっても残務のある同僚もいます。

そんな入れ替わりの激しい職場ですが、これから顔をあわせる同僚ナースが分かります。
全員ではないんですが、大体いつも2,3人。ふと顔が浮かんだり、働いている姿が見えたりします。
前日に見ることもあれば、通勤途中のこともあります。実際に病棟にいくと、「あ、いた。あの人もいた」などといったカンジで、一人で内心喜んでいます。いわゆるデジャビュっていうのとは少し違う気がします。
いえべつに、透視能力って、当てることが目的でやってるわけじゃないんですけど。
でもやっぱり、自分だけのことでなら「当たった!外れた!」っていうのもアリかな。それが楽しいし、誰も迷惑かかってないと思うので。

こういうの、「よーし、当ててやるぞ」って肩に力が入ると、見えないもんなんですよね。セッションの時も同じです。「みてやる~あててやる~」ってやってたら、見られる方も嫌になってしまうと思います。

翌日会う同僚が誰か分かっても、特別いいことってワケでもなく、知らなければ知らないでも一向に構わないってところが、見えやすくなっているポイントかもしれません。
他にも、もうすぐ電話がなるのが分かったり、今から玄関に来る人が少し前に分かったりすることもあります。ハイアーセルフが教えてくれているんですね。または、自分でちらっと先の瞬間をみているといってもいいかもしれません。

「時間」って、過去→現在→未来って一方通行に流れていると思われていますが、実際はそうではなくて、過去も現在も未来も同時に起こっているんだそうです。なので、先のことが分かるというのも、未来の自分を見にいっているというよりは、現在にいたまま、ちらっとのれんを上げて見た、と言うようなものらしいです。見る必要のあること、見てもいいことが向こうからやってくる、ともいえます。つまり、ハイアーセルフが教えてくれるのです。
リーディングセッションで色々な方のオーラを見させていただいてますが、過去生やその方の幼児期、少し先の姿などを見ている自分は、後者の全ての瞬間は同時に起きているという表現の方が納得できる気がします。

時間についての解釈は、ニール・ドナルド・ウオルシュ著「神との対話」という本がお勧めです!!

  


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2009年12月15日

うっかり体外離脱

数ヶ月前のことです。

夜布団に入り、眠りに落ちようとした瞬間、「あ、そうだった!」と用事を思い出し、慌てて起きました。

すると、体がついてこなかったんです!!!

一瞬何が起きたかわからず、自分の体が寝たままなのに、自分が座った状態でいたすがたが見えました。
「やっべー、これって体外離脱??」と思ったら、怖くなってすぐまた寝ました。
無事に体の中に戻れてよかったです。

クリアサイトでは、こうした体外離脱や、チャネリングなどはあまりお勧めしていません。
自分の肉体を自分以外の魂に明け渡すのは非常に危険だからです。
エネルギーにとっても敏感な内臓にも影響します。
レバナ先生の教えをマジメ(?)に守っている私。これは危険!と思って、すぐに体に戻りました。

よく聞くのは、体外離脱して世界中を旅した、とか、好きな人に会いに行った?とか・・・
今は特に、行きたいところもないし、行くなら体を連れて行きたい気がします。

結構憧れてたんですが・・・体外離脱に。
でも、やってみるとどうってことなかったです。ほんとに、体がついてこなかった、ってだけの話で。
期待してただけに、残念な気持ちの方が大きかったです。  


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2009年10月27日

事故の話

私のひとりごとの「私が看護婦になったわけ」にもちらっと紹介していますが、原付で事故にあったときの話を詳しく。
これはもう5年前の出来事になりますが、私が目に見えないものの存在をはっきりと確信するきっかけになったものです。

何を見たのか忘れましたが,写経ならぬ写仏というものがあることを知りました。
写仏とは、仏様の画の上に紙を置いて写し描くことです。

自分で描けたらいいなと思い、やってみることにしました。
細かい絵なので時間はかかりますが、出来上がりは自分でも感動するほど荘厳な感じがします。
その人の生まれ本尊などを描いては友人たちにプレゼントもしていました。
ちょうどそのころ海外に移住する友人がいたので、少しでも日本らしいものを贈ろうと思い、何枚かプレゼントすることにしました。
(今思うと、宗教の違いなどもあったのでしょうが、そんなことも省みず・・・困ったプレゼントだったかもしれませんね。)

ある日出来上がった数枚の写仏画をコピーするため、原付のポケット(足の前・内側にある小さな荷物入れ)に入れ、出かけました。
写仏画は半紙よりも薄い美濃紙というものに描いてあり、A3サイズより少し大きいため、
破れないように普通紙にコピーしようと思ったのです。
穏やかに晴れたある春の日、いつもの道を走っていました。
大きな交差点で信号が変わったので走り出すと、隣の4tトラック(保冷車)が急に左折し、
交差点の角のガソリンスタンドに入ろうとしました。
私はちょうどその時トラックの真横にいたため、運転手の死角に入ってしまいました。
そう、悪いお手本のように、完全に左折に巻き込まれる形になってしまったのです!
「やばいっ」と思った時には、原付のタイヤがトラックにぶつかり、私は原付もろとも倒されてしまいました。
ガソリンスタンドの店員が気づき、大慌てでトラックを制止しようとしているのが見えました。

よく聞く話ですが、本当に事故のときってスローモーションになるんですねえぇ。
以下、これは1秒くらいの間の出来事ですが:
「あ、転んだ。この後はトラックに轢かれる?いや、わざわざ轢かれてやる事もない、立てばいいんだ。ホラ」と、
その場にぱっと立ち上がりました。

運命というのか何と言うのか、幸いにも着衣のどの部分も原付に引っかかっていなかったので、よかったのです。
そのまま原付がトラックの真ん中に引きずり込まれていくのを、ぼーぜんと見ていたのでした。

トラックのスピードが出ていなかったのも良かったのですが、運転手は夜勤明けでボーっとしていたためか、
店員の制止にもなかなか気づかなかったようです。
私も信号待ちの時点で、トラックの真横に入らないようにしなければいけませんでした。
とにかく私は、服にかすり傷すらもつかなかったくらいでした!
原付は、というと、もちろん使い物にはなりません。そのまま廃車になってしまいました。
そして、原付のポケットに入れてあった写仏画はというと、これもまったくの無傷だったのです!
あんなに薄い紙を、筒状に巻いただけだったのに、破れも汚れもしませんでした。
いや~さすがにあの時は紙の筒を握って感謝しましたよ。
そして「守られた」と強く確信しました。

それ以来、あのときの気持ちを持ちつつ、ずっと写仏を続けています、となれば美しく締めくくられそうですが・・・
当時看護学生だった私は、勉強の忙しさに埋もれていき、写仏をする暇はなくなってしまいました。
でも、この1件では目に見えないものの力を体感し、その後の私の人生に影響を与えることになりました。
神や仏などの目に見えないものの存在を「信じる・信じない」ではなく、「存在している」ことがわかったのです。
これは頭で理解することや、理屈を並べてわかるというものではないように思います。
なんだろう。当時の気持ちで言えば、「心でわかった」というのが一番近いのかな・・・
ただ単純に「命を助けてもらったからありがたい」だけではないのです。
もちろん、死ななかったからこそ今があるという点では感謝なのですが、
目に見えないものの存在は、人間の物理面の都合のよさだけをかなえるものではないと思います。
今我々が目にしている物理面だけが「生」だという認識はないはずだからです。
時には怪我、病気などを通してでも、その人が肉体にいるうちに学ぶ必要があるものを持ってくることもあるのでしょう。
それを神というのか、仏というのか、天使というのか、呼び方はわかりませんけど。

このときの私には「死ぬほどびっくりさせて、目に見えないものの存在を知らせる」為にハイアーセルフが導いたのか・・・
でもやっぱり、痛いのや苦しいのはいやですねえー。皆さんも安全運転で。

  


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2009年10月27日

アドバンス卒業旅行2

今回のことでは、とてもいい学びをしました。
エネルギーを扱う事の強力さ、簡単さ、素晴らしさなどです。
アドバンスコースと言うだけあって、扱う内容が更に微細で、効果は強力でした。
毎月クラスに行く度に成長期を迎え、終わるとクリアされていました。
(成長期とは、霊的な意味での成長期です。ここでは他人の情報や古いパターンなどがなくなる事で
エネルギーが浄化される事を指します。成長期の時は、何がクリアされようとしているのか
はっきりわからない事が多いですが、思いだしても大丈夫な頃になると
『ああ、あの時はこれがクリアできたんだ』と分かる事が多いです)

様々なスキルを学ぶと同時に、自分が大きく変化しました。
外部は大きな変化がなくても、自分の内部での成長がはっきり認識出来る。
そして、どんなに成長しても肉体をもって生れてくることを選択する限り、次の成長がやってきます。
それをまたクリアしていくと、自分が成長しているんです。

具体例で言うと、以前なら気にしていたことが気にならなくなった、昔は素直に感情表現出来なかったのに、
なぜかできるようになって、しかもそれがとても楽、などなど。
ちなみに私は毎月クラスに行く度に、みんなから「見るたびに女らしくなる」といわれていました。(^^)v
女性性が上がったとも言えるかな?化粧が厚くなっていったわけじゃないですよ。

また、日常のこと全てを、初めにエネルギーレベルで見ていけばいくほど、今までの価値がなくなったり、
その逆もあったり。
例えば、デジカメ等の精密機械もエネルギーレベルで見てみると・・・
半年くらい使っていなかったデジカメを、久しぶりに充電して使おうとしたら、エラーメッセージが出てしまいました。
「レンズカバーが開いていない」というメッセージでしたが、カバーは開いている。
故障か~。面倒だな。ためしにヒーリングしてだめだったら修理にだそうと、ヒーリングしたら直りました!
ただ、いらないエネルギーがついてただけだったみたいです。やったー。ヒーリングって便利ー。
(デジカメ以外にも、ヒーリングしても効果がない事は良くありますが。そういう時は他にも原因があるんですね)

エネルギーを扱う事って難しい事のように思えるかもしれないけど、実はこれほど簡単な事はないんです。
レバナ先生のクラスに入り、その教えを始めから思いだしてみても、いつも先生は同じ事を繰り返し教えています。
その教えはとても簡単です。そして、その簡単さを実践するほどパワフルになります。

(おわり)   


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2009年10月27日

アドバンスコース卒業旅行

先日、長野県に行ってきました。
ヒーリングのアドバンスコースの卒業旅行だったのですが、
そこで私は一生忘れないであろう、強烈な体験をしました。

(なお、文章中に「儀式」とあるのは、)
(アドバンスコースのために特別に設けられた、卒業の儀式のことです。)
(宗教的なものではありませんので、誤解なさらないでくださいね。)

宿の近くにゼロ磁場で有名な場所があります。
希望者が自由時間に宿のバスをチャーターして、そこへ行くことになりました。
私も、「せっかく長野まで来ているんだし、行かなくちゃ!」と、張りきっていました。
後で思うと、長野行きのバスの中からいつもと違う感覚は何となく感じていたんです。
はっきり表現出来ませんが、なぜかぼんやりして疲れていました。
単純に、朝が早かったせいだろうと思っていました。

ゼロ磁場とは、インターネットの情報によると、磁力の全くない場所で、
人によっては気持ちよく感じたり、肩こりなどが治ったりするそうです。
そこに行ったらどんな感覚があるんだろう?普通と違うのかな?と、わくわくしていました。

その場所についてみると、有名なパワースポットだけあって、
他にもたくさんの人達が訪れていました。
私達も細い道を下ってそのゼロ磁場に辿りつきました。
「とりあえず、なるべく長くいてみよう」と思い、場所を確保しました。

「みんな、場所確保に苦労してるな~」
そうなんです。山の急斜面で、おまけに雨も降っていたので、足場が悪くて大変でした。
私はなんとか腰掛ける場所を確保出来ました。
その場所で土地の感覚を掴もうとしましたが、良く分かりませんでした。
それよりも私が気になって仕方なかったのは、その場にいる人たちの想いや、
逃げ回るクモの姿などでした。なぜか居心地が悪くて、頭痛もし始めました。
「なんで居心地が悪いんだろう?気持ちいい場所のはずなのに。」
そんなはずはないと、がんばって座っていました。

そう。すでに”がんばって”座っているという時点で、おかしいんですよね。
しかも、「気持ちいい場所のはず」と、頭で考えてしまっているんです。
仲間に聞くと、少し頭痛がするとのこと。なんでだろう?へんだなー。
おまけに、私達が来る前から下に座っていた人たちは、イライラしています。
上を見ると、クモが逃げまわっています。山の斜面は、木々が悲しそうだと感じました。
「あたし、帰る。」と、仲間に言って、先に駐車場まで戻りました。
駐車場についてからも、頭痛は治まるどころか、ますますひどくなってきます。
その痛さは、頭の中で除夜の鐘が鳴りつづけ、孫悟空の輪で締めつけられているような感じでした!
とにかく、痛かった!
宿に戻り、とりあえず横になって休むことにしました。
1泊2日の卒業旅行です。今夜は大事な卒業の儀式も控えています。
まさか、ここまできて儀式を休むわけにもいかないし。

夕食までの時間を、部屋で休んでいたのですが、ちっとも回復しません。
みんなとのおいしい(はずの)食事もそこそこに、すぐに部屋に戻って休みました。
私の調子が悪いことを知ったレバナ先生に、同室の人にヒーリングしてもらう様に指示されていたので、
すぐにヒーリングしてもらい、更に休みました。
少しは良くなるのですが、すぐに戻ってしまい、回復しません!
おまけに吐き気もしてくるし、どんどんひどくなっていきます。
「あー、どうしよう。これじゃあ儀式をやる場所までも行けないよ・・・」
儀式はバスで5分くらいの屋外でやるとのことでした。
しかし体調の悪いのは、何らかのエネルギーが原因だとはっきりしていたので、
一人で寝ていても治らないことは分かっており、とりあえず儀式の場所まで行ってみることにしました。
そこで、私の調子が悪い事を知った他の仲間達も、みんなで寄ってたかってヒーリングしてくれました。

それが効いて、少し楽になったので、儀式に参加することにしました。
儀式の輪の中に入ると、また頭痛と吐き気がひどくなり、立っていられません。
先生の指示で、座っていることになりました。
雨も時々降っており、砂利は濡れているけど、そんなこと気にもしていられません!!
儀式は続いています・・・だけど私はもう苦しくて苦しくて、身の置き所もありませんでした。
儀式の輪に入ったら、終わるまでは簡単に外には出られないと予め聞いていましたし、
むしろ儀式の輪の中にいる方が、エネルギー状態が高く保たれているので安全なのです。
輪の外に出た所で真っ暗闇だし、何がいるかわからないし、一人では帰れないし、
どうにもなりません。
・・・というわけで、今度は自分の為に”がんばって”座っていることにしました・・・

儀式は進んで行きます。私の頭痛も、吐き気も、進んでいくような(^^;)
あ~、みんなが楽しそうに儀式をやっているのに、私ったらもう!
そういえば、中学校の修学旅行も旅行先で熱だして、ひとりで旅館で寝てたなぁ、なんて、
思いだしては「うぇ~、気持ち悪い、あぁ、頭がガンガン締めつけられるう~」
雨は降るし、踏んだりけったりだよ、ゼロ磁場なんていくんじゃなかったー!

そんなこんなで、2時間半くらいガンバったんですね。
体は全く参ってしまっていましたが、ハイアーセルフはちゃっかり儀式に参加してました。
魂にとっては、からだは関係ないもんね。

それにしても、なぜこんなことになってしまったのか?
もちろん、ゼロ磁場のせいなんかじゃありません。「とても気持ち良かった!」という人もたくさんいます。
私の感覚に過ぎませんが、あの場所はいろんなものが増幅していた様に思います。
他人のイライラも、自分が感じた「場の想い」も、クモの姿も、全て増幅していました。
だけど一番の原因は、自分の中で解放する準備のあったものが、増幅していたことだと思います。
恐らく、長野行きのバスの中から始まっていたのが、ゼロ磁場で増幅された、ということなのかな。
おまけに、へんな存在がついてしまっていたり、他人からエネルギーを送られていたり、
いろんなことが一度に起こっていました。
仲間達のヒーリングやリーディング、物理的な手助けのおかげで、這うような思いで宿に戻り、
無事に(?)その日を終わる事が出来ました。

翌日は、まだ頭痛が残るものの、昨日よりは大分楽になっていました。
その頭痛も、ランニングエナジー(クリアサイトのスキルで、自分のオーラやチャクラをきれいにする方法)
をしたら、すうっと消えて行きました。
一時は、東京にすら帰って来れないかとも思うほどひどい状態でしたが、
最終日のワークショップも無事に終われて、卒業式を迎える事ができました。

(つづく)   


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2009年10月27日

友人の体験談

私の友人の体験談です。私が催眠療法のクラスを受講しているときから練習台になってもらったりと
何かと協力的で(というより興味津々)、彼女の存在には重宝していたんですが・・・(^^)
彼女はその後もヒーリング、リーディングも受けていていました。
いつどんなセッションをしても、彼女にとって父親との課題は常に現れていました。
でもまさか、こんなかたちで大きな愛情を目の当たりにするとは私も思っていませんでした。


私の父は5月に亡くなりました。亡くなる前後にとてもいい体験をさせてもらいました。
私は中学生の頃からこの体験をするまでの約20年、父に対してずっと嫌悪感があり、
自分は父から愛されていない、そして自分も父を愛していないと思っていました。
父は長年アルコール依存症や糖尿病を患っていました。家族が父の体を心配しているのに、
それに対して父が応えてくれようとしなかったのが嫌悪感の一番の原因でした。
私は何度も泣きながら父に「お酒を止めて!」と頼みましたが無駄で、その度に
「娘の私が言っても改めようとしないって事は、この人には私なんてどうでもいい存在なんだろうな」
という気持ちがどんどん強くなりつつ大人になっていきました。
もうここまで来ると心配半分、勝手にすればが半分という感じで、どうしていいかわからない状態でした。
そんな時、今から2、3年前に岩崎さんからオーラや過去生、全ての事には意味がある、
などの話しを聞く機会がありました。
初めて聞くはなしばかりでしたが、なぜか自然と納得出来ました。そして、父との事を見てもらいました。
その時の結果は「お父さんは愛していないのではなく、ただ愛情表現が下手なだけ」でした。
「あぁ、そうかなるほど・・・それでなんだ」と納得しつつも、どこかまだ心の底からはそう思えず、
月日が経ってしまいました。
受けてその場ですっきりすることもあれば、後々すっきりすることもあると聞いていましたが、
私の場合は多分一生気付かずに終わっちゃうな、くらいに思っていました。

そして2、3年が経ち、父の体調が崩れてきたある日、いつも通っている整体の先生の所へ行きました。
その先生は時々、何かの講演やいい番組を録画して施療中の患者さんも聞けるように大音量で流す事があるのですが、
私が行ったその日も何かの番組が流れていました。
最初は気にもならなかったのですが、ふと耳を傾けたら、なんとそれが正に、いつか岩崎さんに見てもらった時と同じシーンだったのです。
そのカウンセラーらしき人が
「うーん、あなたの父親はあなたの事を愛していなかったのではなく、
 ただ単に愛情表現が下手なだけで、それをあなたはそのまま受け取ってしまったから
 愛されていないと思ってしまったんですよ。」
そう言っている声が聞こえた時、私はなぜか施療中にもかかわらず泣き出してしまいました。
それは、言葉が耳や頭に入ってきたと言うよりグオ~ッと心臓に入ってきたと言う感じでした。
そこからはもう自分でも止められないくらいに次々と心の声(?!)みたいなものが湧いてきました。
頭で考えて「ふむふむ」と言う感じではなく、勝手にポンポンやってくると言う感じでした。

最初は心の底から「お父さーん!!」って湧いてきました。
「ん?あの家に住めて、ご飯食べれて、学校いかせてもらって・・・これって誰のおかげ?
 お父さんじゃん!!あー、今まで当たり前過ぎて気付かなかった、今まで私は何やってたんだ?!
 感謝するって事、全然していなかった!」
私が3、4歳の頃に父のひざの上に座って二人ともにこにこしている写真があるのですが、
それがぱっと頭に浮かんできて、本当に心の底から
「あー、私って愛されてたんじゃん!」
昔、母がよく「あんたは小さい時お父さんが会社に行く度に窓あけて、
 姿が見えなくなるまでおとうさーん、おとうさーんって毎日毎日泣いて困ったよ」
と言ってた事を思いだして、
「私もお父さんを愛してたんじゃん!」
これらがいっぺんにどばーっとやってきた感じでした。
自分でも、びっくりするやら感動するやら、何が起きたの?って状態でした。

その後少し冷静になって考えたら、私達はお父さんの体が心配だからと言いつつ、
「お父さんが倒れでもしたら私達が大変になるんだから、気を付けてよね!」と言う気持ちがどこかにあって
感謝していなかったからなかなかいい方向にいかなかったんだろうなあ、と思いました。
あんなに父の事が嫌いで理解しようともしなかった私ですが、こうやって気づく事が出来て、
初めて「お父さんの為に!」と思ってスープを買ったりしました。
はやくお父さんに渡したいなあ、と思っていた2、3日後に父が末期ガンで余命数ヶ月と母から聞きました。
ショックでしばらくボーっとしてしまいましたが、すぐに切り替えて
「せっかくお父さんの事大好きになったんだから、支えなきゃ!」と思い、
入院先でもいろいろ話しをしたり、手をさすったり(父に触れると言うのは前の私では考えられない事でした)、
なんか愛しいくらいでした。
父はその1ヶ月後くらいに苦しまずに亡くなりました。

亡くなってすぐは、「なんでもっと早くお父さんに優しくできなかったんだろう?」と後悔したり、
「嫌悪感を持ったままのほうが、亡くなった後自分も気持ち的に楽だったのかも・・・」と思ったりしましたが、
後悔すればしただけ何かが変わると言う事でもなく、起きた事は変わらないし、
嫌いなままお父さんとお別れしても多分何も気付くものはなかったんだろうなぁ。
大好きになったおかげで色々気付く事が出来たし、「気付くのがもっと早ければ」ではなくて、
「あの時じゃなきゃ気付かなかったんだよ!だからこれで良かったんだ!」と思えるようになりました。
今は、お父さんの娘で良かった、お父さんありがとうね、と幸せな気分です。

悲しい辛いと言う出来事も、あぁ切ない切ないといってただそのまま終わる事もあるけれど、
嬉しい事だけでなく、悲しい事も見方や受け取り方次第で感謝出来るんだな。
本当に全ての事には意味があって起きているんだ・・・成長させてくれる事だったり、
すべてがいい事に繋がっていくんだなあ。全ての事に感謝だなあ、と実感しました。


彼女の場合、現世での肉体を持ったお父さんとのワークはラストスパートがすごかったようです。
整体の施療中に聞いた番組で彼女が覚醒(!)した時、
催眠療法で誘導した時に見た父娘で遊んだ場面や、その後のリーディングなどでオーラに現れていた情報が甦り、
「これかぁ~」とわかったことがいくつかあったそうです。
彼女はお父さんが元気な頃、時計をあげた事もあったそうですが、その時は気持ちがこもっていなかった。
数万円する気持ちのこもらない時計よりも、気持ちのこもった百円位のスープの方が測りきれないほどの価値があったんですね。
お父さんは結局そのスープは飲めなかったそうですが、飲む・飲まないではなく、
スープを選んでいた彼女の行為そのものが「愛の権化」ってなところでしょうか?!
ある人生の大きな節目に自分がこんな形で関わっていたんだと思うと、不思議な気持ちがします。

人生それぞれ、こういった形で愛を表現する場合もあれば、そうでない形もある。
憎しみあって今生終わることも、亡くなってから分かる人も、分からない人もそれぞれの選択ですね。
どの選択が良いも悪いもない。良い、悪いの性質を決めるのも結局は自分自身なんだと思います。   


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2009年10月27日

CD

面白いもの、第二弾です。
今度はCDなんですが、宇宙のバイブレーションを音に変換したと言う
「ネオ スペースサウンド リミックスシリーズ」#1~5まであるうちの#4「ESP」です。
1990年にNASAのボイジャーが宇宙で採取してきたデータをもとに作られたそうですが、
聞いているだけで深いリラクゼーション状態になり、イメージが見えた、汗がふき出たなどの効果があったそうです。
特に日本人にその効果が顕著にみられたとか・・・
#1は穏やかな気持ちになる、#2はリラックスなどそれぞれ目的が違うそうですが、
私が買ったESPは、第6感を研ぎ澄ませる、五感が鋭くなる、気が出やすくなるといった効果があるとのことでした。
こういうものをみつける時は特に出会いを感じるんですが、静岡の繁華街(呉服町通り!)を歩いていた時、
静岡人なら誰でも知ってるCDショップの「す○や」の前を通りかかりました。
①「用事はないんだけどなんか今入りたい気がする・・・」
②「ヒーリング関係のCD売り場に行きたい気がする・・・」
と、二胡やバイオリンのCDを物色して、帰ろうかな?と思っていたら!E・S・Pの文字が目にとまる!「ん?これなんだ?」と即購入~!

このCDを聞くにあたり、注意事項がいくつかありました。
・オリジナルのCDで聞く事。コピーされたものは特殊な信号が消えてしまい、効果がなくなるそうです。
・車の運転中は不可。深いレベルの催眠状態に導くので身体反応が遅くなり、危険。
その他、BGMのような聞き方はしない事、寝てしまってもいいような状態で聞く事などがあげられていました。

ところで皆さんは、催眠状態を体験した事ありますか?
私はヒプノセラピースクールに通っている時に初めて催眠状態を体験しました。
知らぬまに寝てしまっていたり、体の一部が重くなったり、どこかの筋肉がぴくぴく動いたりし、
催眠からさめた時にはとーってもすっきりと気持ち良かったです!
どのくらいすっきりかと言うと、小学校の夏の午後に水泳から帰ってきて部屋でかーっと昼寝をしてしまい、
はっと目がさめた時のあの気持ち良さです!
(ヒプノの時は催眠状態になってから以前紹介したような辛いビジョンを見たりするんですけどね。でも、泣きながら覚めてもなんかすっきりしてましたけど)
私がこのCDを聴いた時は、下半身の感覚がなくなり布団との区別が分からなくなったり、いろんなビジョンが楽にリアルに見えたりしました。
宇宙がリアルに感じられます。グラウンディングを強くしないとちょっと恐いです。
そして必ずと言っていいほど毎回寝てしまいます。
そのためか、聞いていない時にはどういう音なのか思い出せないし、毎回違った初めて聞く音に聞こえるんです。
一定のリズムを持った曲ではないし、起きて聞いているわけでもないから覚えないのかもしれませんけど・・・
なんか不思議なんですよね。
で、CDの効果はといいますと・・・うーん、ビジョンが楽に見えるようになったかなぁ。
今はよくわかんないですけど、これ、ほんとに強力なのでまだ今後効果が出て来そうだなとわくわくです。   


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